正しさが誰も救えないのなら、せめて「ブスは自信を持ってはいけない」と彼女に思い込ませた全ての概念をまず抹殺した後に怒りたい

ネットで人気の可愛くて聡明な女の子に

「ブスなのになんで自信満々なんですか?」

とDMしている人がいた。

 

「ブスは自信を持ってはいけない」というお前が勝手に作った蟻地獄に他人を引きずり込もうとするなよ

と一蹴するのは簡単だけど、正しさが一体何を救えるんだろう

 

正しさが誰も救えないのなら、せめて彼女に「ブスは自信を持ってはいけない」と思い込ませた全ての概念を殺し終わった後に初めて彼女を怒りたいと思ったよ。いや本当に本当はそうあるべきでしょう。それが出来ずに自分の切実さに従って怒らざるを得ない瞬間がいつも虚しい。これが救いようのない怒りだということがあまりに確かだから。

自分の感受性ぐらい自分で守れと叱ることすら躊躇するぐらい虚しさで溢れているこの世の中で、どうして正義が人を救えるだろう

ルーツを思い出す季節

一人で生まれて生きてきたような気がしていても、私にとってやっぱり盆と正月は自分のルーツに向き合う季節だった。
私の母は、何を間違ったのか市電の運賃箱に間違ってIC乗車券を突っ込み、交通局まで行って運賃箱を開けて取り出してもらったことがある。
それを私は赤いポストに郵便物を投函しようとするたび思い出す。スマホを間違ってもここに入れるなよ、私はそういう間違いを犯す血を引いてるんだぞ、とごくりと唾を飲む。
祖母が、鞄に入れたはずの年賀状がないと言いながら自分の鞄をごそごそ探す姿や母が、毎回帰宅時に鍵をごそごそと鞄の中から探す姿を見るたびに自分と重なって、ああーこれもやっぱり血なのかなと思う。

 

姿形が違う、辿る人生も、心も。
なのに「血は繋がってる」
不思議、変なのとは思うのに、特段の違和感もまたないのが親族ってことなんだろうか。

自分の欠落や歪みが、流れる血の仕業なのか、育った環境によるものなのか、それとも持って生まれた自分の資質ってことなのか、被験者は自分一人なのだから確かめようがない。
だからこそ皆、それは環境のせいだという、いや、持って生まれたその人の資質によるものだと言う。


本当は誰にもわからないけど

でも、考えてしまう
「もし、生まれた場所がここじゃなかったら」

私が泥水すするような思いでやっとできるようになったことも、誰かにとっては成長の過程で特に苦労の記憶もなくすんなりできるようになったことだったりして。

そんなことを考えても仕方がないのだけれど、時々欠落の数ばかり考えてしまう。
「もしも、私があの人と同じ環境で育っていたら」
もしそれが叶ったとして、それでも私の欠落が欠落のままなら、本当にそれは私の持って生まれた資質の問題だという事実がただ横たえているだけ。その真相はわからない、誰にも。

わからないまま、最後の日まで生きていく

自己紹介

アリマカナコ
インターネット超文章担当。文章で作品を作って発表しています。フィクション、ノンフィクション、etc
1991年生まれ。東京都在住。熊本県熊本市出身。
日本大学芸術学部演劇学科劇作コース出身。在学中は劇団を主宰して自主公演を行っていました。
現在は小説、エッセイ、ブログ等々を執筆し、ネット上での発表やイベントでの出展等で活動中。
自身のコンセプトカフェ訪問での出来事や心情をまとめた「メイドカフェご帰宅日記」(2015年)が100部を完売。他著書多数。


連絡先
arima.oremeru@gmail.com

やってること
・イベント出展(文学フリマコミティア、自主企画、etc)

ツイッター
https://twitter.com/arima08

・ブログ(ここです)
http://arikana.hatenablog.com/

・noteも更新中。
https://note.mu/arima08

・ワインnoteマガジン「ワインを飲む。」更新中
note.mu

・熱海旅行小説「熱海旅行へ」更新中
note.mu


2018.01.01更新

2018年総括と2019年に向けて

ここ数年で生き抜く地力みたいなのがちゃんと身についてきた気がするなあという実感が伴ってきました。

超具体的に言うと、知らない大人や知らない会社や知らないお店に電話がかけられる、とか、

見積もりの取り方がわかる、とか

ビジネスメールがそれなりに受け答えできる、とか

最初からこういうのがそれなりにこなせた系の育ちをしていたような人達からしたら、「は?」という感じかもしれないけど、

家から出るのもかなりの気合いがいるし、電話をかけるのはおろか、携帯にかかってきた電話を取るのもためらってしまうぐらい、もうそのぐらい、社会や他人に接続する全てが怖かった私が今はそれができるってかなり希望だと思うよ自分でも…。

私が自分で欠けていると思っていた部分は修練や経験である程度まではどうにかなる類のものだった、ということがわかった。

 

表現活動?個人活動?の流れ的には、それまで定期的にイベント出展に出てるうちに、だんだんどういう本が売れるのかわかってきて、かといって売れる本を造ろうとすると自分が作りたいものと離れていってしまう気がしてそれはなんか違うし、このまま出続けて「コンカフェの本をつくるひと」になるのも違う気がするなあ、とnoteでの更新に力を入れるようになった。

いや正直どちらかといえばnoteよりこっちのブログの方がトーンとしては好きなんだけど、いくら自分的に超傑作なブログを高頻度で更新してもたぶんここでは何も世界が広がらないなってことを悟ってしまったから…。

というような実践や思考の紆余曲折があって、今年の暮れにはwebマガジンを作って、それの紙媒体化&イベント出展を目指したいなという気持ちが湧きあがってきて、それでできたのがこちら

note.mu

なので来年はこのwebZINEごはんと女の子の主宰としての活動をがんばりたいと思います。

今noteで更新している他マガジンも早めにきっちり区切りをつけられるようにしたいです。

 

それ以外だと、webマガジン始めるからっていうのもあるけど、普通に趣味も込みで写真を勉強したい!

 

そして最近は本屋巡り&その本屋でその日一番気になった本を買って読む活動が楽しいので、これは飽きるまでやりたい。

化粧品研究やワインはじめお酒を飲みながら勉強する活動も楽しいのでこちらも続けたい。

 

あとはもう本当に、ちゃんとこれが本当に自分の本意なのかということを常に自問自答することを忘れないようにしたいし、より自分の本意に沿って生きてくためにはどうしたいいのかっていう解を求め続けることも止めない。

 

年の瀬、よいお年を、1年の総括、来年に向けて、

とか言っても正直何も実感はないんですけど、変わらずまたがんばりたいね、今日も明日からも。

 

あなたの美が、あなたの意志と行動によってもたらされたものであるということを厳密に理解するために、私は、

生まれつきの顔の美醜って、それは単純に皮とか肉とか骨の具合の話でしょ

可愛く装いたいとか、美しくなりたいとか、ピンクが好きだからピンクが似合う自分になりたいとか、そういう意志や、その実現に向かうための行動が一番美しいし可愛いよって本当に思ってるしそう言い続けたい私は。

 

性自認が十人十色なのだとすれば、私の場合は、

私という精神に「使っていいよ」と与えられた身体が女だった

というのが今は一番しっくりくる。

 

美しい人、その美について

それを主体性を持って体現する人

それを鑑賞したり享受したりする人

決してその二元論には収まりきれないと思っていて

例えば私はどちらかといえば美を享受する側の人なんだろうけど、でもやっぱり私が毎月美容院に行ったり化粧品を買ったりするのは、まあほんとに単純にそうしたいからっていうのもあるけど、やっぱり美はどうやって作るのかを身を持ってわかっていない人は、他人が作り出す美を精細に見つめることもまた難しいのでは?と思っているから

つやのある髪も、整った眉も、綺麗にカールした睫毛も、何にもせずに得られることなんてないから。

私は、あなたの美が、あなたの意志と行動によってもたらされたものであるということを厳密に理解するために、自分の身体を使って美の作り方を知る。

 

顔面の話だけじゃなくて、例えば誰かが私に向けてくれた細やかな優しさや気づかいに気付くためには、自分もまず人を気遣うっていうことがどういうことかをわかってないとその感受性もまた得られるはずがないから。

そういうの全部全部私は美しさだと思っているから

 

だから私の目の前に現れた美しさを全部見逃したくないし、気付けないとかありえない

っていつもそんな気持ちだ

インベカヲリ★写真展「ふあふあの隙間」

何もかもピッカピカで整然としたニコンプラザ 新宿の一角にあるギャラリーでやっていた。

 インベさんのことやその作風は何年か前から知ってこそいたけれど、やっぱりPCやスマホの画面で見るのとはまた違った迫力が、大判の写真に囲まれたあの空間にはあった。

 

「普段の生活では誰にも見せない本当の、本来の私」

そういう一面もあるのかもしれないけど、

「これは今日の私であって、明日は違うかも」

ぐらいの不確かさで、誰にも見せるつもりのなかった誰かの日記を覗いてしまっているような。

女性が、人間が、あなたが生きているということの深淵さが怖いような、はたまたとても愛おしいような

全部が嘘のようで、何よりも本当のような

そういう両極の間を曖昧に行ったり来たりしていた

 

インベさんが在廊していて、お客さんと歓談している声をBGMに作品を見ているのも不思議な気持ちで

他人をジャッジするつもりのないまなざし

を感じた

インベさんの視線がレンズで心がフィルムで
ぐらいに、インベさんの視線は誰をもジャッジしたり、「この人はこういう系の人」とぱっと見の印象で人を系統立てたりしていないように感じた

 

少し露悪的な印象を受けるのかなと行く前はなんとなく思っていたけれど、実際行ってみたら全然そうじゃない、善悪を超越して静ひつな空間だった

 

全然正しくもなければ優れてもいない今この瞬間の私を、誰か興味を持って欲しい、面白がって欲しい、だけどどうかジャッジしないで欲しい

その望みが叶えられた時に現れるのが

「ふあふあの隙間」

なのかも、と思った

 

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あなたがあなたとして生きていることを、私が私として生きていることを、祝福できたなら。

先日マリーエンケーファーで開催された、「天国にいちばん近いZINE」展に行ってきた。

 

 

うろ覚えだけど、数年前ゆっきゅんが何故ミスiDの候補者として選出されたのか、「美しかったから」だったという話を聞いた覚えがある。

すごくよくわかる。

 

私にとってゆっきゅんはひたすら美しく生きることができている人で、いつもなんだか見ていると少し心がずきずきしてしまう人だった。それはたぶんやっぱり自分が子どもの頃、子どもであるばかりに無力で、どうあがいたところで結局傷つけられて悲しい気持ちになるしかなかった、みたいなことがずっと一杯あって、そしてそれを大人になってもまだどこかでひきずっているからで…

 

だから私とは全然違う世界を生きているゆっきゅんから見える世界がどんな色をしているか、なんて全くわからなかった。

写真は「あなたがいる世界」がなんなのかが可視化される。それに対して文章は「あなたから見える世界」がなんなのかに触れさせてくれる。

今回私が購入することが出来た、ゆっきゅんが書いた「体操ブログ」がまさにそうだった。

遅すぎだと思いますが、私が体操ブログを読んでやっと気づくことができた、他の誰にもないゆっきゅんにしかないその大きな才能は、「王子として生まれ、王子としての自らの才能を愛し、王子として生きることができる」という才能でした。

 

例えば、王子として生まれ王子としての才を持ち、だが本人は王子ではなくラッパーを志向しているが、どうにも王子としての品の良さが滲み出てしまいラッパーにはなりきれない…

とか、

王子として生まれたが、世間様や親せきから「いやもう現代なんだからごく庶民的に、就活して就職して生きるべきだ」と言われ続けたからそういうもんかとおもって就職するが、朝7時に起きて満員電車に乗って、9時までに会社へ出社するという生活が無理すぎて鬱になってしまった…

とか今はそういう悲劇に溢れているでしょう。

だから、「王子として生まれ、王子としての自らの才能を愛し、王子として生きることができる」というか、「ゆっきゅんとして生まれ、ゆっきゅんとしての自らの才能を愛し、ゆっきゅんとして生きることができる」がどれだけすごい才能か。

 

誰もが王子様としてお姫様として生きて行けるわけではなく、でも私が私として生まれて私として生きて行こうとすること自体は、きっと本当は誰でも志すことができるはずで、そこにこそ最も自由があるはずで、私だってずっとそういうつもりでいたけれど、まだ完全なアリマカナコになりきれていないからまだ少し、そういう気持ちになってしまうのでしょう。

それは別に、開業医の家に生まれた子はラッパーになるなとか、貧乏な家の子が大学進学を目指すなとかそういうことではなく、私が私で居続けるために、あなたがあなたで居続けるために、大事なことや必要なことはなんなのか、という話で。

「あなたがあなたじゃない人になれば(それを演じることができれば)、こんなに幸せになれますよ」と、そういうことを平気で囁いたり怒鳴ったりする大人が一杯いるけど、ほんとはそんなのぜーーーんぶ嘘だよ。

 

私が完全体の私になった時、ゆっきゅんはきっともっとゆっきゅんとしてあるべき姿を手に入れているでしょう。その時ゆっきゅんと私の間にある断絶は今よりもっと深くなっているでしょう。

でもきっとそうなれた時ようやく、私は何も心が痛むことなく、ゆっきゅんのことを好きだと手放しで言えるようになるのではないかと、そういう気がしています。

 

 

 

「互いに孤独なまま、断絶ごと相手を愛する」ということをおもう時、私は浜崎さんのSURREALを思い出します。

浜崎あゆみ Surreal 歌詞 http://j-lyric.net/artist/a000617/l006e8c.html

www.youtube.com