自己紹介

アリマカナコ
作家兼自身のパトロン(会社員)。文章・フィクション・ノンフィクション を書きます。
1991年生まれ。東京都在住。熊本県熊本市出身。
大学時代は、戯曲を主に執筆。
現在は戯曲の他、小説、エッセイ、ブログを執筆し、ネット上での発表やイベントでの出展等で勢力的に活動。
自身のコンセプトカフェ訪問での出来事や心情をまとめた「メイドカフェご帰宅日記」(2015年)が100部を完売。他著書多数。
趣味は、一度も行ったことのない場所へ行くこと。飲食店で頼んだことのないメニューをオーダーすること。


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配信内容はその時々によりけりですが、ゆるーく雑談、たまに各種更新通知&イベント出展紹介等々。

衆院選が近いということで、ふと自分の選挙区の現職の衆院議員についてぐぐってみたら

衆院選が決まりそうということで、そういえばあんまりよく知らなかったとおもって自分の選挙区の現職の衆議院議員についてぐぐってみたところ、ある属性に属する人のことを非常に蔑視する発言が、複数の場では複数回あったということを知り、愕然としてしまった…。

1回ならともかく、複数回だし、公的な場での発言だから、完全なデマではない、勢いまかせの失言でもなく、そこには少なからず本音があるってことだろう…。

ああ政治に興味を持たないリスクってこういうことなんだなと一発でわかってしまった。知らないってことは自分にとって望まない行動を政治家が起こしていてもそれを無自覚に許容してしまっているってことだ…。

 

政治について皆語らないので、私は私自身以外の市民のひとたちや身近な人達が普段している政治活動について知らない。

普段国会中継を見たとかニュースを見たとかそういうなんらかの政治参加や興味についてつぶやいていない人が選挙の日だけ

「投票行ってきた」

とつぶやく。

私のツイッターのタイムラインに流れてくる政治的なツイートはほとんど、その普段政治的発言をしない人が呟く

「投票行ってきた」

だけである。

それは、普段からニュースを見て、自分の選挙区の現職議員の動向を注視して、自分の住んでいる都道府県・市区町村の議会議事録に目を通したり、国会中継を見て吟味し、各政党のマニフェストも調べた上で投票先を決めているのか、はたまたあみだで適当に決めただけなのかもわからない。

 

でそういう人の中には

「選挙行ってね!!」

「選挙行かない人は権利を捨てているから、不利益があっても文句言っちゃダメ」

と言うひともいる。

これっておそらく、市民に出来る政治参加は選挙だけだ、と捉えてるがゆえの発言なんだと思うけど、果たして本当に選挙でしか市民は政治に参加できないのか?

そして本当に選挙に行くだけで一市民の政治参加は必要十分と言えるのか?

市民にできる、投票以外の政治参加とは?

とかいうことで結構もう5年以上、悶々としている

結局は、できる範囲で興味を持ち情報収集し行動を起こしましょうね、

ということに尽きると思うのですが、選挙シーズンのたびにそんなことを考えています。

 

そして、選挙行ったツイートするひと(特に選挙に行かない人を責め立てる系のひと)には、誰に投票したのかどこの政党を支持しているのかとかはもちろん教えてくれなくていいので、自分がどうやって投票先をどうやって決めているのか(区報・政党マニフェスト・候補者演説を見たとか、普段から国会中継を見ているとか)だけでも書き添えてくれたらいいのになあ、とおもっています。

スイマー

スイマーの装飾もりもりでピンクなビーサンをこの間履いて、急に今年でスイマーがなくなるということ、どう考えても世界が一つ貧しくなるということなのでは、と思わずにはいられなかった。

ルーツ

ルーツって大事だなーと感じる仕事を今日はしていた。

今日まで続いてることは必ず続いてるだけの理由があり、ルーツを整理することによって次の一手がわかることって一杯あるなあとおもって

 

ETV特集「加藤一二三という男、ありけり。」を見てしまったらもうひふみんなんて呼べない

加藤一二三という男、ありけり。

をたまたまつけたNHKで見た。再放送だったようだ。

ひふみんこと、加藤一二三九さんのドキュメンタリー。

ずっと名前と姿といくつかの逸話を知るのみだったけれど、その伝え聞く話にはなかった勝負師としての凄まじさを知った。

一番衝撃を受けた言葉が、5年、10年と行き詰まりを感じていた頃、「これを打開するためには宗教の力を得るしかない」

と教会で祈りを捧げるようになり、後にキリスト教徒として洗礼を受けるという話。

牧師さんが、「加藤先生は誰よりも長く祈りを捧げます」と。

ご本人は、「しつこくしつこく祈り続けていれば、神様といえども必ずその内根負けする」

これはもう、なんというか行き詰まりに完全な諦めでもあるし、一方で自分の持っているものを心から信じていないと行えないことでもあり、その闘いに対する執念に戦慄した。

牧師さんがそういう加藤さんの好むたとえ話を解説する。

知人の家にパンをもらいに行く、ノックしてもノックしても断られ続ける、また明日と言われる。それでも戸をたたき続けると、根負けしてパンを差し出された

と。

(なぜ宗教勧誘の人は相手の感情を一切かんがみず知らない会社や人の家の戸を叩いては邪険に断られるということを何度繰り返してもあんな怖いほど澄んだ目で訪問を繰り返せるのか、その理由というか思想の一端もここに見た気がした)

 

 

歴代最多の、2500局を超える対局数、通算最多敗戦 1180敗、歴代一位の棋士現役57年。

このドキュメンタリーのディレクターはHPで

私たちが見続けた加藤さんの戦いの日々は、孫よりも年下の棋士たちに負け続ける日々です。負け続けているのに、もう77歳なのに、既に栄光をつかんでいるのに、なぜ、戦うことにこだわりつづけるのか…。

とコメントしている。

www.nhk.or.jp

神様や自分の棋士道を心から信じていないとこの記録は残せない。これだけ負け続けても揺らがないのは、信仰の力の強さだと思った。

 

あとしびれたのは、加藤さんの将棋のスタンスを解説する人たちの言葉

あそこまで同じ戦法を貫かれると不気味ですらある。普通、研究され対策されることを考えると、一つの戦法をとり続けることは、一つの生き方ではあれ現実に実行する人はほとんど居ない。しかし加藤先生に限っては、全くそれを恐れていないようだ

という羽生さんの言葉や、生き様や闘志が伝わってくるスタイル。

加齢し、引退が確定しても何も衰えない、揺らがない、迷わない

 

こういう生き方があるんだということ、そしてそれを表現することができる将棋、そして人が生きることの奥深さをまたひとつ知った。あの生き様、どう生きるかということがもう表現で芸術だ、神様に向かって表現する行為だと思った。 

 

 

大して事実を知ろうとする気もないのに、誤解で他人を安易に貶める人達が腐るほどいる事実の、残酷な可視化について

lineblog.me

誰のためにもならないから言及しまい言及しまいと思ってたけど、大森さんは最初から

私のあのライブのあとにあのMCがあったことがとてもつらかっただけです。

 っていうことを言っていたのに、ネット上で話が広がれば広がって行くほど

主には「大森靖子は自分は音楽は魔法じゃないと思っているのに、ヨギーは音楽は魔法だと思っているという、その思想の違いに大森靖子は切れている」

みたいな、それ以外にも色々めちゃくちゃに曲解されていく光景がつらかった。単純な思想の違いに切れてるわけじゃないのに!!!

角舘さんという人が普段音楽を魔法だと思っていようがいまいがどういう思想を持っていようががどんな人間だろうが悪気の有無も今回の件が起こった原因に関係ないのに!!ただ直前のミュージシャンのパフォーマンスの主旨を安易な一言で否定したと取られかねない言動をしていた、そのリスペクトのなさ一点のみが大森さんが怒った原因じゃん…。ベースの件は副次的なことで、そもそもあのMCがなければ大森さんだって貸出にそんなに怒ったりしなかっただろう…。

 

後に大森さん自身が最初にこの件に言及したブログもツイッターも消えてしまったから参照する術がなくなってしまった、でもそれにしても大森さんのブログもツイッターもあった時点でも読む気もなく誤解と思い込みで勝手に他人を裁こうとする人が絶えなかったし、「音楽を捨てよ、そして音楽へ」の歌詞をぐぐる気も、せめてyoutube見る気もなくて、いっちょかみで、大して知ろうとする気もなくだったらせめて黙れよなのに、人を安易な言葉で簡単に貶める人達が別にyogeeのボーカルに限らず、こんなに世の中に一杯腐るほどいるのか…と頭ではわかっていたことがあまりにも残酷に可視化されてしまって私までつらくなってしまった…。

 

私もツイッターで大森さん以外の色々な人がこの件に色々言及してるのは見てたけど、ついに納得できる言葉はこのツイートだけでした

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからは全然?関係ない話なんですが、私はまったく大森さんからの認知ないと思うのですが、私の一方的な想像の世界で大森さんは私のことあんまり好きじゃないだろう、というのがあって、それはもう大森さんを知った最初から。

自分を好いてないひとをあんまり好きになってはいけない、それがマナーだろう、嫌いなひとに好かれてもうれしくないし、

と思ってたのでできるだけそうしてたんですけど、

でも例え向こうから好きじゃないと思われていても、こちらはただ好きでい続けることこそのみ、愛なのでは?

と、最近だんだん思い始めました

 

 

2010年代に正社員で就業してみる価値 私編

特別になりたいという気持ちよりも定型の人間になりたかった、私が持ってる異質さなんか全部掃いて捨てていい、平凡な普通の家庭で普通に育ってみたかったという気持ちが強すぎて

入った大学の学部の「ふつうじゃないがふつうです」というキャッチコピー、全く共感できなさすぎてどうしよう、という感じだった。

特別になりたがるひとを見ても、私がごみのように扱っているそれがなんでそんなに欲しいの??

という目でしか見られなかった

 

就職率、50パーセントあるの?というあの学校で、それでも私が就職を選んだのはいくつか理由があるけど

22年色々あったけど、結論だけ「大学を卒業して就職」と帳尻を合わせてしまえば、今度こそ定型の人間になれるのでは?

という夢や希望が打ち捨てられなかった

のも理由の一つにあったとおもう。今思えば。

 

で就職してしばらくは、やった!!!定型の人間になれたぞ!!!それ見たことか!!!

と思ってたけど、でも数年して今、気付いたら、あれ、精一杯自分なりに定型をなぞってきたはずなのに、結局全然定型の大人になれてないじゃん…

 

でもよく考えたらそりゃそうじゃんって感じだけど、普通の家庭で小中高大と出て就職した人は必ず絶対人畜無害で平凡な人間なのか?ってそんなこと在り得ないじゃん…。

どんな出自でも偉人から犯罪者まで生まれ得る…。

 

という、人によっては最初からわかっている当たり前のことを実感を持って理解するまでどうしてこんなに時間がかかってしまったけど、でももし大学卒業時に就職を選んでいなかったら、新卒で就職して会社員になっていればまともな人間になれていたのかもしれなかったのに…という幻想に今でも私は苦しんでいたかもしれないので、就職してみてよかったです。

特にやりたいことも収入のあてもないのなら、すぐにやめてもいいから1回は就職してみる価値があるのかもしれないと思った。定型になりきれない人の中でも一部の人達は、定型に可能な限り擬態することで自分を生きやすくさせるという側面もたぶんあるので