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自己紹介

アリマカナコ
作家兼自身のパトロン(会社員)。文章・フィクション・ノンフィクション を書きます。
1991年生まれ。東京都在住。熊本県熊本市出身。
大学時代は、戯曲を主に執筆。
現在は戯曲の他、小説、エッセイ、ブログを執筆し、ネット上での発表やイベントでの出展等で勢力的に活動。
自身のコンセプトカフェ訪問での出来事や心情をまとめた「メイドカフェご帰宅日記」(2015年)が100部を完売。他著書多数。
趣味は、一度も行ったことのない場所へ行くこと。飲食店で頼んだことのないメニューをオーダーすること。


連絡先
arima.oremeru@gmail.com

やってること
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配信内容はその時々によりけりですが、ゆるーく雑談、たまに各種更新通知&イベント出展紹介等々。

あのちゃんと水野しずさんが地上波放送に出るということ

あのちゃんや水野しずさんが、何も自分の資質をねじまげることなくどんどんテレビに出れるテレビなんだったら私はきっと毎日テレビに貼りついちゃうね!

とおもった。

 

『おしゃべりオジサンと怒れる女』 ゲスト水野しず

www.youtube.com

 

注目すべきは坂上さんだと思う。

『不思議ちゃん』は、馬鹿かいじられキャラ

っていうカテゴリーがそもそもテレビや世間の中では形成されていて、冒頭のしずさん紹介VTRを見た時点で、まっさきに「そういう系の人間なんだろう」とカテゴリーに落とし込んだのが坂上さん。

けど実際のしずさんは、馬鹿にするにも安直にいじるにも、あまりにも真っ当な知性のある会話をしていて、かつ場に対して貢献しようっていう真摯さやサービス精神があるから、「馬鹿だ」といういじり方も「視聴者や司会者に歩み寄る姿勢がない、アーティストぶって調子に乗るな」という突っ込みもしようがない。

坂上さんが、しずさんを一般的なテレビタレントのどのカテゴリーにも入れられないことに終始困惑しながら、でもしずさん言っていることが真っ当だからだんだん共感の立場をとってしずさんの話を聞くようになる(インタビュアーの失礼さに対する腹立たしさについて自分のエピソードを語るなど)

っていうのがすごく面白かった。

あっ、完全な拒絶からはじまった人がこういう風に受け入れられていくんだ…。

みたいなのがこのたった20分弱で見られて、これこそが本当のテレビの醍醐味なんじゃないかと思った。

 

そして、ジュニアさんのどんなゲストでも完全に番組を成立させるスキルの高さを改めて知り、しずさんに対峙しても全くキャラや発言がぶれない古館さんは、この人もこの人で一切自分の資質をねじまげてこなかったほんとに天才なんだな…。とおもった。(そういえば古館さんがしゃべくりにゲストで出た時の、しゃべくりレギュラー7人を翻弄する様子はこの時のしずさんに近しいものがあった気がする。)

 

 

 

しずさんが番組の絵を描いて、その感想をしずさんのいないところで言っている回も好き

www.youtube.com

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ジュニアさんがこの絵を見て「古館愛がすごいんす。(『なんで?』の声)いやなんか古館さんだけ紅茶とおケーキなんかある。我々なんにもないですもん。坂上さんなんて汗だくですやん。」

で坂上さんや古館さんがそれぞれ「なんでなんで?」と言ってて、でも答えはその場の誰も知らないから「なんで?」はなんで?のまま終わる。

 

結構これはそのまま、しずさんの望む自分の絵への鑑賞の在り方なんじゃないかという気がした。

 

www.youtube.com

あのちゃんはもっとさらにロジック抜きで嗅覚とカンで全部やっているけど、全部それが正解みたいな感じする…。ここぞという時に絶妙なタイミングでど真ん中をスパッと言いぬくの、しずさんと同様テレビ的なセンス感じる。

司会の南海山ちゃんもめちゃ対応力高いけど、それでもその能力限界ギリギリを攻めていくかんじ。

やばいけどギリギリのところでしらけさせないし引かせないし、絶妙にちゃんとエンタメのバランスを保っている。

 

 

割とアイドルや俳優でも、バラエティに出る時に、芸人の文脈やお決まりに寄せていって「◎◎さんは芸人じゃないのにww(芸人のような仕事ができるんですね)」と言われるような人がより仕事出来る人とされるような雰囲気も今のバラエティからは感じるけど、ちゃんとゲストが自分の文脈で出て、司会の人の最大限の力量を引き出し、いつもと違うリアクションを取らせるゲストこそが本当は一番いいゲストなんじゃないかって思う。

 

あのちゃんもしずさんも、あえて必ず何かのカテゴリーに入れなければいけないのだとすれば「不思議」に入れなきゃいけないんだろうけど、でも「不思議ちゃんは大抵馬鹿か高飛車」みたいな雑なくくりを軽々飛び越えているところがとても痛快で希望だった。

 

 

 

 

 

 

 

ゾーニング。ディズニーランドとサイゼリヤ

二日酔いのせいにしてお布団から出ない一日。

夕方、お腹が空きすぎて重たい頭と身体を引きずってサイゼリヤへ。

ミネストローネはトマト感が薄い、さっぱりしすぎててガーリックトーストとは合うようで合わない。パルマスパゲッティおいしい。

「1000円以内だったらお誕生日でなくても買ってあげるけど、2000円は高いよね」

6人、うち、子どもは3人。ぐちゃぐちゃに重ねられているお皿。荷物が大きく隣の席にはみだしている。興奮気味に大きな声で話す子どもたち

私たちは価格によってゾーニングされている

 

という、当たり前の現実を一番突きつけられる場所がディズニーランドとサイゼリヤかもしれない

 

 

 

 

「コンビニ人間」今の日本で辿り着きうる最善の、

本屋に行って、気になる本はいくつかあったんだけど買うに至らず

なんかこう、理由も感性や意欲がぐんにょりくぐもる、がらんどうの日だった。

 

読み終わった「コンビニ人間」のことを、考えていて

 そういう風に生まれついた時、今の日本で辿り着きうる最善のバッドエンド

だった。

 

この物語が幸せじゃないのは主人公が悪いのか?悪くないのだとして、じゃあこの違和感はなんだろう。

とおもって、ああ、この物語をトゥルーハッピーエンドにさせてくれないのは全く彼女の資質のせいじゃない

と気づいた。

 

1000回ブログを書いてなんになる。

何にもなりません。

 

 

 

 

ブログ全盛期の頃は個人ブログなんてめちゃめちゃ平凡だったけど、

この2017年、ビジネスでもお小遣い稼ぎでもなくはてブ稼ぎをするでもなく読まれているのかいないのかもよくわからないまま、1円も収入を得られないこのはてなブログで執拗にブログを書き続けているということは、もはや

狂い

なのではないのだろうかと最近思ってきた。

 

でも飽きるとばっさり何もかも切り捨ててきた私が、はてなダイアリー時代から通算1000記事もここで書き続けている、狂いだとしてもちょっと感慨深い…。

 

最初の頃と、変わったことっていえばなんだろう。

昨日書いた字も文章も怖くて読み返せなかった私が、自分の過去ブログを楽しく読めるようになったのは、過去の自分を愛せるようになったということで、それは過去の自分の連なりで出来ている今の自分を愛せるようになったということなんでしょう。

書いた物を読み返すということは、鑑賞者としての自分の視線の在り様を見つめることだから、その繰り返しは、自分の視線を育てたと言えるのかもしれない。

あと、同じ場所へ何度も通うことや、何度も同じ行為を繰り返すことは祈りや礼拝に近いと最近思っていて、

それぐらいです。

 

 

 

東京、新宿、生きること。

事務員制服を着たまま、所用にて、新宿。

属性がありすぎ、タグ付けされ過ぎの服を着て街を歩かなくてはいけなかった、中学高校時代の息苦しさを思い出した。高校生であることが自分のアイデンティティーだと思ってなくてもそれを着ていれば勝手に「高校生」のタグ付けをされることの息苦しさ。

自意識過剰だったとしてもやっぱりどうしてもいつでも「自分はどうしてもこの町から浮いている、馴染めない」という感覚。

 

でもだんだん歩いてるとどうでもよくなってくる自分がどんどん街に埋没していく感覚。東京は、新宿は優しい。誰をも平凡な存在にしてくれる。私はずっとずっと私のまま平凡になりたかった。

電機屋さんの大きなディスプレイでは、椎名林檎のライブ映像が大音量で流れていた。

大森靖子椎名林檎浜崎あゆみ、彼女達の曲はどれも新宿が似合うけど、街に流れる時、全く違う色で新宿を染める。

 

 

 

又吉の新刊「劇場」を読んで、なんで私は自分に才能があるかないかを煩悶しないんだろうかと考えたんだけど、自分がスマホゲーで言うスーパーレアSSSのカードなのか、☆1カードなのかを私は煩悶しないということなのだろうと思った。☆1なら☆1なりに与えられた自分の設定を全うしたい。

私は私に、私という人間がどんな生を全うするのか見せたい、私はそれを見たい。

生きるということ自体が最強のエンターテイメントで芸術だと信じて毎日生きてる。

 

 

 

ねむきゅんと大森さんのブログ

最近刺さったブログ二つ

 

lineblog.me

 

ameblo.jp

 

二人に共通しているのは、スルーしないことを選んだ所。

言葉にしてしまえばあまりにも簡単なことだけれど、ちょっとでも社会に触れたことがある人間なら誰だってわかる。自分の全ての感性を殺さないこと、不感にならないことが、ある時どれだけ致命傷を負いかねないほど自分を深く傷つけてしまうか。

スルーしましょう無視しましょう、それが出来る奴の方が正しくて大人だ、それが出来ない奴は間違ってて子どもだ

まともな大人を名乗る人間は誰だってそういうけど、そんなの怠慢を数で正当化しただけだよ。赤信号みんなで渡れば恐くない的な。大森さんとねむきゅんの方がよっぽど誠実だ。

 

傷つけてこようとする奴の方が悪いし、それにまともに傷ついてしまうことは全然間違ってない。だけどそれでも傷つけてくる人がいて、傷つく二人がいて…

っていうことを、どうしたらいいんだろうって思う。

私は二人にスルーしろと言いたくない。ネットでインスタントに傷つけてくる人の方に傷つけるなと言いたい。

でもそれで解決しないから今二人はこういうブログを書いているわけで…。

 

大多数の愛を信じよう、とか、超越するから、っていう圧倒的な意志とか、二人は幾度もその終わりのない問いが浮かぶたびに答えを出し続けてきたんだろうなって思って。

 

「スルーしろ」的な自己責任論は結局、命題を命題として抱え続ける覚悟がないから安直に出した結論だよ。

 

インターネットも世論もすぐ結論を求めるけど、そのインスタント結論で一体だれを救えるのか。

 

本当の答えが出るまで何度も問わないとたどり着けない答えがあるよ。

私もそれに辿り着くまで、問い続ける。