自己紹介

アリマカナコ
作家兼自身のパトロン(会社員)。文章・フィクション・ノンフィクション を書きます。
1991年生まれ。東京都在住。熊本県熊本市出身。
大学時代は、戯曲を主に執筆。
現在は戯曲の他、小説、エッセイ、ブログを執筆し、ネット上での発表やイベントでの出展等で勢力的に活動。
自身のコンセプトカフェ訪問での出来事や心情をまとめた「メイドカフェご帰宅日記」(2015年)が100部を完売。他著書多数。
趣味は、一度も行ったことのない場所へ行くこと。飲食店で頼んだことのないメニューをオーダーすること。


連絡先
arima.oremeru@gmail.com

やってること
・イベント出展(文学フリマコミティア、自主企画、etc)
ツイッター
https://twitter.com/arima08

・ブログ(ここです)

・noteブログも更新中。
https://note.mu/arima08

・既刊の通販
https://gohangirl.booth.pm/

・メルマガ
arima.oremeru@gmail.com
まで「メール配信希望」等何か一言添えてメールをいただきましたら、不定期で配信しています。
自分のリアルタイムな活動紹介や、ネットでは差しさわりがある話、メルマガ小説など内容盛りだくさんでお送りしております。


・LINE@
QRコードをスキャンorURLから登録してください!アカウント名は「ありま」です!
http://t.co/C6W1C1Ob5s

f:id:world_conquest:20150314005507j:plain
配信内容はその時々によりけりですが、ゆるーく雑談、たまに各種更新通知&イベント出展紹介等々。

若さにひよらず、今は。

89 善く誓戒を守っているふりをして、ずうずうしくて、家門を汚し、傲慢で、いつわりをたくらみ、自制心なく、おしゃべりで、しかも、まじめそうにふるまう者、──かれは<道を汚す者>である。

いつか理不尽に泣く若いひとがいたら(そもそも理不尽で誰かを泣かせることのないようにとは今も常に考えていることではあるけれど)、いやあなたは絶対に間違っていない、と芯から言えるようにするための今日である、と思わなければやってられない日がたくさんありますよね。

いつでも堂々としていられる生き様を持って、堂々としていたい。若さにひよらず、今は。せめてもの。

思想の原型

72 歯牙強く獣どもの王である獅子が他の獣にうち勝ち制圧してふるまうように、辺地の坐臥に親しめ。犀の角のようにただ独り歩め。

 

www.youtube.com

 

4歳の頃、家を捨てて母と車の中で

鐘の音がなった

ミントグリーンの屋根の教会

幼稚園

と書かれていて

ここに通いたい

そう言ったら

本当にそこに通うことになった

どんなコミュニティよりも成熟した優しい世界

私の思想の原型

自分が選んだものからしか何も掴み取れない

私の運命

 

自然体が一番だなんてたぶん幻想

71 音声に驚かない獅子のように、網にとらえられない風のように、水に汚されない蓮のように、犀の角のようにただ独り歩め。

不自然な強がりも、続けていればいつか本物の強さになるはず。自然体が一番だなんてたぶん幻想

と思っていなければ割り切れないことが多すぎる

 

知らない人が、ブログ書くより同人誌作るより商業用の原稿書けよと言っていて、それもまあきっと正しいんだろうけど、世界が広がらないことを是としない方針なのか私の場合は

絶望的な気持ちになったり息苦しかったりする「正しい」が私にとっても正しかった試しが一度たりともない。

 

やる気が出たら頑張ろう、は、幸せになったら頑張ろうとほぼ同義かもしれない

70 妄執の消滅を求めて、怠らず、明敏であって、学ぶこと深く、こころをとどめ、理法を明らかに知り、自制し、努力して、犀の角のようにただ独り歩め。

 やる気が出たら頑張ろう、は、幸せになったら頑張ろうとほぼ同義かもしれないなと思う。

そんな日は永遠に来ないものとして扱い、無気力なら無気力なままに、そのまま今の自分が成し得ることを淡々とやるべき、というのが真理なんだろうなあと最近思う。

◎◎ができたら、あったらやろう、と待っているうちにたぶん一生が終わるから、欲しいなら成し得たいなら今すぐにの世界だよ2017年は。

きっと全然正しくない

69 独座と禅定を捨てることなく、諸々のことがらについて常に理法に従って行い、諸々の生存には患いのあることを確かに知って、犀の角のようにただ独り歩め。

「捨てずに従え/従えども捨てるな」

「諸々の生存には患いのある」

悟りだねとしか言えない。

 

www.youtube.com

 

他人に自分の気持ちお金時間を全力で傾ける人達と、それを受け止める人達

っていう構図を私は10年以上ずーっと見つめ続けているけれど

いまだに正解がわからない

そもそも、特定の人物に過剰に感情を入れ込むのは正しくも賢くもないことだ、

という圧倒的な現実だけがあらかじめ横たわっている。

でも、そういう時ってそれが全てのように見えて、人生単位で見ればたぶんきっと一瞬のことだよね。

どんな形であれ、自分なりの終わりを見つけるまで走り続けられるのは敬虔な祈りに似ているのかもしれない。走ろうとしても走れなくなる日や走る必要がなくなる日はいつか必ず来るはずだから。

 

初恋を過ぎて、そういう気持ちで走りたいけどもう走れないなという人もある日突然子どもが出来たり、全部捨ててもいいと思えるアイドルやホストや人、に出会ったりして全てが変わってしまう日も来るのかもしれないし。

 

正しい人が正しくないと切り捨てる、そういう感情に強く興味を持ってしまう私も私できっと全然正しくない

世界を未然に救えてしまう人達はヒーローにはなれないかもだけど

68 最高の目的を達成するために努力策励し、こころが怯むことなく、行いに怠ることなく、堅固な活動をなし、体力と智力とを具え、犀の角のようにただ独り歩め。

こころが怯むことなく

っていいフレーズだなー。

 

 なんかこれを書いて、

「誰の眼からも見える危機を救える人達は確かにヒーローだけど、危機が訪れる前に誰かをあらかじめ救ってしまえる人だって本当はヒーローで、でも未然に救ってしまっているから救われていることすら誰も気づかない」

ということをすごい猛烈に意識してしまった…。

電車で元気な時にはそもそも席には座らないようにしてる人より、とりあえず座るけど、お年寄りが来たら席を譲る人の方が善人に見えがちであるように…。

でもヒーローのひとより、本当はそういうポジションの人達の方がずっと多いよね世の中。

私だってヒーローじゃない側だし、だから、世界を未然に救っておく活動を明日からもがんばるし、あなたが今日も世界を未然に救っているということを絶対に忘れない。

誰かの眼に見えない真摯な仕事が巡り巡って今日の私を救ってくれているんだろうということを忘れない。