自己紹介

アリマカナコ
インターネット超文章担当。文章で作品を作って発表しています。フィクション、ノンフィクション、etc
1991年生まれ。東京都在住。熊本県熊本市出身。
日本大学芸術学部演劇学科劇作コース出身。在学中は劇団を主宰して自主公演を行っていました。
現在は小説、エッセイ、ブログ等々を執筆し、ネット上での発表やイベントでの出展等で活動中。
自身のコンセプトカフェ訪問での出来事や心情をまとめた「メイドカフェご帰宅日記」(2015年)が100部を完売。他著書多数。


連絡先
arima.oremeru@gmail.com

やってること
・イベント出展(文学フリマコミティア、自主企画、etc)

ツイッター
https://twitter.com/arima08

・ブログ(ここです)
http://arikana.hatenablog.com/

・noteも更新中。
https://note.mu/arima08

・ワインnoteマガジン「ワインを飲む。」更新中
note.mu

・熱海旅行小説「熱海旅行へ」更新中
note.mu


2018.01.01更新

夢も憧れも壊れてしまった日に

生きていると夢も憧れも思い出も壊れてしまう日がありますねーー

でも壊れた夢と憧れを踏みにじってでも明日を迎えるのが生きているってことで、、

面白いとおもっていたブログがつまらなくなったのはたぶん

いつまでも変わらない人の言うことなんていつまでも変わらないからつまらないよね

どんなに破天荒に暮らしていても

俗にいう「平凡な暮らしを送っている」私は毎秒変わっていっているのに

客観性を手に入れてみれば、私のブログの方がおもしろかったな最初から。

人の優越感を煽るのが上手いということ、まあそれだって能力でしょう。

 

もういいよ相手を上手に威圧するじゃんけんで勝った人の言うことを聞き続けたのが今のこの世の中じゃん。

でも何が一番美しい、一番合理的、一番適切

そういう価値軸全て捨て置かれて

いつまでチンパンやってんだよとしか思えない

 

私は、私が私でよかった、君が君でよかった、と言える最大瞬間風速を更新するために、生きる

美少女の彼女の隣に居続ける理由・今日の虚構ブログ

その美しい女の子は、幼稚園からの幼馴染で。

3歳?4歳の頃?当たり前に一目見た時から好きだったんです。

別に同じほど美少女でもない凡庸な私が彼女から愛されるための戦略は誰よりもずっと彼女を好きでいて、彼女の望む温度でそばにいよう、ということ。

戦略は功を奏した。彼女の良き友人で良きナイトで、それでいい、それでいいから、それ以外に何もいらないので。

なんでこんな絶世の美人がお前みたいな凡庸な奴と?

みたいな顔をされたのはもう何百回目かな。関係ないよね、愛されていないお前には関係ないから。

彼女より高すぎず低すぎず、の成績をキープして同じ小学校中学校高校、そして大学に入学した。

大学のミスコンへのエントリーを同級生に勧められて、悩んでいた彼女の背中を押したのは私だった。

私がいくら隠したって見つかってしまうだろう、だったら彼女がそれを嫌だと思わないなら、最大限その美しさを生かしていった方がきっと彼女にとって得だろう、と思ったからだった。

「みくちゃんもそう言うなら出てみようかな…。みくちゃんは、出ないの?」

正直そんなこと考えもしなかったけど、そう言われた瞬間に急に腹が決まった。

「私も出る。」

二人でエントリーシート出しに行ったら担当者に

 「彼女はわかるけど、なんでお前も?」

ってけげんな顔をされた。

わからないの??馬鹿だなあ。

 

ダイエットしてメイク研究して、全然美少女にはなれない私なりに精一杯努力した。

私は彼女の後ろじゃなくて、隣にいたいの。おつむがだいぶ悪いお前らの脳内にさえもその姿を焼き付けておきたい。

インスタでもツイッターでももちろん現実でも、彼女の隣にいるのはいつだってお前じゃなくて私で。

 

結果は、もちろん彼女は優勝だった。私もなんとか小さな賞をもらった。それでいい、私は結果に満足だった。

 

彼女と私、二人並んだ姿を見て

「俺は私は彼女の方が可愛くて好き」

選んで満足か??それで勝った気なの??お前は彼女から選ばれていないよ。

バーカ。

 

蜜月は明日もきっと続いてゆく。この宇宙のこと、誰にわかってもらえなくてもいい。

 

 

 

正しくないインターネットを返してくれ!

正しくないインターネットを返せーーーーーー!!!!!!!!

 

font size=50 font color=redで叫びたいこの気持ちに私が突然陥ったのは、昨日「インフルエンサーツイッターでのフォロワーの増やし方」なんて記事を読んでしまったのがきっかけだった。

バズったツイートを研究しよう、ツイッターで話す話題を絞ろう、フォロワーを買うのは結局後々ばれるからやめた方がいい、RT・引用RT・画像付きツイート・画像なしツイートをバランスよく配置し綺麗なタイムラインを心がけ

など、的確にして合理的

なるほど…インフルエンサーと呼ばれる人達はそんなことを考えてツイッターをやっているのか…。

しか出てこなかった。

 

翌日、でも思えば私自身は職業インフルエンサーみたいな人のツイッター苦手なことが多いな?

と思って色々考えたら結局、私が好きなのは人の計算を超えて漏れ出す本音、計算外の弱さ、隙みたいなものなんだということ、

それから、あまりにも正しすぎることは辛いと感じてしまう

と言うことだった。

 

すると急に過去のインターネットの情景が思い返された。ブログもツイッターニコニコ動画も、テレビや雑誌では「ないことにされている」時代が長くあったということ。

個人ブログ、個人HPは一つの小宇宙だからBBSがあったって読み手と書き手の間にはいつも断絶があって、ネットをやる人達はいつでも孤独な状態だったこと。

みんなこれが何かになるのかどうにもなるのかならないのかわからない、と思いながら記事を重ねる。そこには大抵何かに対する愛やクソどうでもいい日常、どうしようもない愚痴などが綴られていて、それらをみんな人知れず自分のブックマークに収めて、これを読んだって何がどうになるのか何の役に立つのかわからない、と思いながら読んでいたんですね。

まったく合理的でもなければ正しくもない、何のためにもならない世界がそこにはあったんです。

なぜなら前述したとおり、個人ブログや個人HPは宇宙だったから。

 

現実に対しては虚構、現実の自分とは違うアバターのような自分が存在する場所、それが当時のインターネットだったんだけど、いつしかネットは徐々に現実を凌駕し始めて、それに気づいた正しい人達は逆にネットを凌駕し始めた。

正しくSNSを使う力はすなわち自己実現力、好きをお金に変える力になる、将来の自分に繋がる…………………………

正しくないインターネットを返せーーーーーー!!!!!!!!

 

一日規則正しくスケジュール通りに過ごしてしまったら「あああまりにも正しすぎる一日を生きてしまった」と三日は寝込んでゲームしないと上手く生きれない私のことをわかってください、いや全然わからなくていいです。

 

正しくないインターネットは正しくないから可愛かった。だから好きだった。

それだけです。

 

 

「君は誰とも違うよ」

芸大に通っていたからというのもあるかもしれないけど、ハイティーン特有の、何者でもないのに自意識だけ育って、私は人と違うぶりたいがために、一人の人間である私をお前の望むモブに仕立て上げようとされることが続くのに心底嫌気がさしてしまって。

 

人間は一人一人違っていて個性があるという状態を普通と設定するならば、お前は特別でもなんでもねえ普通の人間だよ

と言いたいがばかりに、どうやっても他の人と違う私の固有性に対してまで私は「そんなの別に普通だよ」と言わなきゃいけなくなってしまって。

普通になりたい

と、言いたかった。でもそれは逆説的に私は普通じゃないと主張することになってしまう気がして、言えなかった。

普通じゃなくなりたい人達の気持ちなんか全然わからなかった。

私はずっと普通になりたかった。

 

今思えば、君は誰とも違う、と言ってあげることで安く自尊心が満たされる人は別にそれでいいんじゃないって思うし、

何より大切だったことは、そういう風に、君は誰とも違うということを一緒に確かめることで救われる人がいるなら、その人に寄り添うことだった。

普通でも、普通じゃなくても、どっちでもいいよ、君は誰とも違う。

正しくいられる日も、正しくいられない日も、好きなので。

デザインフェスタ vol.47 ・1日目に行った話。デザフェスは「自分には何ができるのか」を考える場所

 デザフェスの土曜日に行ってきた。久々に行ったけど楽しかったです。

 

途中で予算足りなくなって我慢できずにお金降ろしに行ったら、ATMに軽く列が出来てて、あ~~気持ちがわかる~~~同志よ~~ってかんじでした。

 

他の来場者の人はどんなものを買ってるんだろう?と色々購入品ツイートとかインスタとかサーチしてみたんですが、やっぱりデザフェスでしか買えない、既製品では似たものが買えない、とかそういうものが人気なイメージでした。

 

 

一方で、デザフェスの歴史も長くなってきて、どんどん出展者のクオリティが上がって来て出展者としてこなれてきた感がある人も増えてきていて、デザフェスは、表現したい人のための場というより、表現したいものを上手く商売に繋げられる人のための場なんじゃないかという感じもより一層強まっているなあという気がしていて。

それ自体はもちろん全然悪いことではなく単にバランスの問題で、ただ商業にどうつながるかわからない、もしくは繋がらないかもしれないけど、ぐっと来る表現をする人達っていうのもきっと一杯いて、そう人達を支える仕組みがほとんどないという印象があります。

それはもう端的に例えば、「ライブペインティング自体は収益化しづらいのに、ライペスペースは販売スペースの何倍も使用料が高い」とか、どんなにいい作品作ってもそれは無料でしかも終了直後に即取り壊されることとか。

いやでもライペってそういうことだから、使用スペースが広いから使用料高いの当たり前だから、ライペスペースでもグッズは売れるから、というのもわかるし、やってる人達もデザフェス側も、収益うんぬんじゃなくてここで新しいファンをつくって次の別の活動へ繋げていければ

という感じなのかもしれないけど、なんかうーん、物を売りたい人だけなく表現したい人を支える仕組みはもっと他にないんだろうか…。

と考えてしまう。

そんな中、福留茜さんのライペを熱っぽい視線で見つめたり真剣な面持ちで動画に収めたりするお客さんが一杯いる光景を見て、私がデザフェスで感じた希望って一番はあの場面だったかもしれない。

 

同時に私個人レベルで何ができるっていうことも考える。好きなひとや現地で見つけた気になる人のところでお財布が許す限りお買い物をするとか、ツイッターやインスタでその感想をつぶやくとか、ぱっと思いついてかつできることはやってるけど、なんか、もっと他になんかできないのかなあ、と考えます。

 

 

なんか今までは国際展示場まで行く億劫さでデザフェスちょっと敬遠気味で、行ってもお目当てだけ見て帰るとかも多かったですが、今回午後着ではあったもののがっつり会場周ってみてすごく楽しかったので、今後は極力毎回、午前中からブース周りたいなあという気持ちになりました。周りながらデザフェス楽しみながら、自分には何ができるのか、をより一層掘り下げて行きたいです。

 

 

下記はツイッターでの私の購入品ツイートまとめです。

twitter.com

 

 

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スワロウテイルのルールの意味についてのこれまでの気付きまとめ

お屋敷こと執事喫茶スワロウテイルに行き始めた初めの頃~20回目までぐらいずーっと思っていたことがあって、

 

◎お手洗いに一人で行ってはいけない(行きも帰りもフットマンにエスコートしてもらわなければならない)

◎紅茶のつぎ足しを自分で行ってはならない(つぎ足しはフットマンにしてもらうこと)

◎ファーストオーダーも追加のオーダーも必ず担当フットマンが行うこと(例えその時点で他に手が空いている人がいても、担当フットマンの手が空いてオーダーを取りに来るまで待つこと)

このへんのルールってサービスとは何かをはき違えているのでは!?全く合理的でないシステム上の瑕疵、もしくは来訪者への理不尽や不便の押しつけなのでは!?

と思ってたんだんですけど、20回を超えたあたりから上記のルールの根拠がやっとわかってきました。

単純に、担当フットマンとお嬢様の接点や会話のきっかけを増やすため

本当にただそれだけなんだろうなという気がします。

ただそれだけなんですけど、これってすごく重要で、スワロウテイルってシステムだけを見るとかなりギリギリなバランスでできていて、お嬢様と使用人たちみんなが、「ここは、お屋敷であなた/私は使用人、私/あなたはお嬢様」という、ここがお屋敷(執事喫茶)であるという共通認識を持てているから初めてお屋敷や執事喫茶として機能しているのであって、もしその認識を誰も持っていなかったらあの場所は容易に「お屋敷コンセプトの下位互換高級ホテルラウンジもどき」になってしまう恐れをはらんでると思います。

つまり、上記のルールはスワロウテイルがお屋敷/執事喫茶/コンカフェとしてのアイデンティティを保つために必要なルールなんだと思います。

コンカフェと普通の飲食店の最大の違いは「マニュアルではない会話が発生する余地が多分にあるかどうか」だと思うんですけど、スワロウテイルの場合は上記のルールがないと、マニュアルではない会話が発生する余地がほとんどなくなってしまうと思います。普通の飲食店になってしまう。

 

なのでこれはスワロがコンカフェであり続けるために必要なルールであるのは間違いないと思います。

ただこれを飲食店のサービスやルールとして考えるとかなり合理性を欠いているのは間違いなく、またその穴を埋めるための負担は当然担当フットマン個々にかかってくるので、それぞれの使用人の性格や業務習熟度に応じてお給仕のクオリティやお嬢様の満足度にかなりムラが出てしまいますよね。フットマンそれぞれの個性としてそれ込みで楽しめる人はいいけど、毎回同じクオリティのサービスや満足度を求めると途端に結構しんどいお店になってしまいますよね。べき論で言えば毎回同じクオリティの楽しいを提供するべきといえばもちろんその通りなのですが、まあなんかそういうムラがあるとこも普通にコンカフェらしくていいのかな?と最近は思うようになりました。

であんまりこのムラに対してシビアな視線を向けて欲しくないから、なんとなくお屋敷はお嬢様に固定(推し)のフットマンをつくることを推奨しているような空気があるのかな?と思いました。固定や推しがいるということは、例え他がマイナス100点でも強い再訪の動機になるから。(スワロに限らずそこに甘えてほしくはないけど)

 

12周年を迎えられたのは、もちろん使用人のみなさまやお嬢様がたがお屋敷がどういう場所であるべきか、自分はこの場所でどうあるべきかを理解してお屋敷を守ってきたからというのはもちろんなんですが、少なくともこのへんのシステム設計が大きく間違ってはいなかったからっていうのもあるんじゃないかなあ、と思いました。