自己紹介

アリマカナコ
作家兼自身のパトロン(会社員)。文章・フィクション・ノンフィクション を書きます。
1991年生まれ。東京都在住。熊本県熊本市出身。
大学時代は、戯曲を主に執筆。
現在は戯曲の他、小説、エッセイ、ブログを執筆し、ネット上での発表やイベントでの出展等で勢力的に活動。
自身のコンセプトカフェ訪問での出来事や心情をまとめた「メイドカフェご帰宅日記」(2015年)が100部を完売。他著書多数。
趣味は、一度も行ったことのない場所へ行くこと。飲食店で頼んだことのないメニューをオーダーすること。


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6月

労働で疲れた身体、帰り着いてエアコン付けて布団にもぐる

やらなきゃいけないこと、やりたいことがいくつか頭の中をめぐるけど

だんだんエアコンの音だけが頭の中に響いて、溶けるように眠りに落ちて行く

 

夏至がくる

2025年の労働人口について

昨日のしゃべくり007、世間一般からどんどん乖離していくあゆをどう解釈していけばいいのかわからない

 

眠りの海から、波に揺られて、だんだん浜に打ち上げられていくように目を覚ましてはまた浅い眠りに落ちて

 

NHKの週間天気予報は、雨ばっかりで画面が真っ青

 

身体の中にあの部屋をつくりたい

 

 

極私的な近況を語らうさいあくななちゃんと女の子のお客さんの姿と声がどうしてだろう、とても厳かなものに感じられて、懺悔室って行ったことないけどあったらもしかしたらこんな気持ちになる場所なのかもしれないなって。外でならなんとなく、でも絶対に言わないことも、ここでなら告白してもいいって思える気持ち。

 

雑誌を見てテレビを見て「こんな部屋に住みたい」って思うことはあったかもしれないけど、身体、心の中にあの部屋を作って生きて行きたいと思う場所は、あの場所が初めてだった。

あの部屋を心の中に作ることが出来たなら、いつでもどこでも永遠に自由に私自身のまま強く生きて行ける、そう強く信じられた。

 

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ばんそうこうは偉大。

仕事してて、紙で勢いよくスパーン!と指を切ってしまってばんそうこうを貼った。

ばんそうこう、あれは傷口に貼ってるようで、ほんとは心に貼ってるものだね、と久しぶりに使っておもった。

「ちょっと気を付ければ痛い思いをせずに済んだのに」と傷口を見るたび痛んでしまう気持ちにばんそうこうを貼っている。

傷が早く治るばんそうこうとかじゃない普通のばんそうこうに、そんなに意味はない、むしろ傷が乾燥しづらくなるからちょっとの切り傷なんかに貼るのは逆効果だとわかっていても、これからもあの普通のばんそうこうはなくならないだろう。

可愛い治療用アイテム(?)って基本あんまり見たことないけど、可愛いばんそうこうは一杯あるのは、たぶんそのへんも関係あるんだろうな。

 

根本的な解決にはならなかったとしても、でも一時的にでも痛みを忘れさせてくれること、やめようと思っても「もっと気を付けていればこんな傷を作らずに済んだのかもしれない」感じてしまう罪悪感にそっと目隠しをしてくれるばんそうこうは、偉大。実際の傷を治そうとするのも、どうしたら同じ傷を作らないで考えるのも、少し時間が経ってまず心の切り傷に「つ」が出来てからでも全然遅くないのだから。

 

傷ついた人自身に根本的な解決や原因の追究を求めるひとを見るたびに、私はばんそうこうの偉大さを思い出す。

 

それでも絶望しない

学生時代の記憶。体育の先生がクラスメイトをよくわからない理由で殴って蹴ってたこと、生理中の女子生徒もプールの授業に参加させてたこと、野球部は絶対全員坊主、朝礼で生活指導の教員は必ず罵声で生徒を黙らせる。

薄ーく、薄く、でも確実に、「絶対にそれはおかしいよね?」とか、「ここは本当に法治国家か?」「日本国憲法を教えた口と同じ口でどうしてそんなことが言えるのか?」

とはらわたを煮え繰り返しつつ、公的な対抗手段が与えられていなかった我々。

 

あの絶望は、校内だけのものだ、大人になればたぶん、と思っていたけれど、共謀罪はあんな流れで決まっちゃうし、みんなが貧しくなっていくっていうのは、いざという時に法的手段に出れる人が減っていくということでもある。政治参加もしようがない。お金と時間がなければ。

あの薄い、でもヤバい矛盾と絶望の影が色濃くなり学校の校舎からも溢れだし社会に浸食している、そんなイメージを最近持っている。

 

何かそれでも、政治家じゃない自分に出来ることがあるんだろうかと考えても、あの、無意味なミサイル避難訓練を一生懸命実施する市民のニュースを見て無気力になりそうになる。

 

それでも、たぶん何かあるんだよ、あるはずだよ、戦争が起こってしまうその日までは。自分の力を正しく使える場、正しく努力できる場が。

 

それが何なのかはちゃんとしたことは言えないけど、諦めて無気力無関心に自棄になることが一番よくないっていうことだけははっきりとわかる。

『お前に頼らなくても生きて行けるよ』といつでも言えるように

「歌わなければ生きて行けない」

何かに殉死して行こうとしていく人にいつも憧れを持ちながら、でも全くそういう志向性を持った生き方をしてこなかったなとふと思った。

学歴至上主義みたいな高校に入ったら、「推薦で芸大に入る奴はこの学校始まって以来だ」と言われる結末を迎え、芸大に入り、後、友人の紹介で芸能界のはじっこみたいな場所で数月バイトさせてもらったら、「この業界にすがりつかなければ生きて行けませんと言うのは最悪だな」と思って(バイト自体は楽しかった)

会社員になったけど、別に新卒で入った会社に定年まで働くとは必ずしも限らないという気持ちで毎日いるし。

 

 

「私は◎◎なしでは生きて行けない」

という人を搾取しようとする人間や産業が多すぎるんだ。そして私は搾取されるのは嫌だ。私はいつでも『お前に頼らなくても生きて行ける』と言える自分でいたい。

 

ただ、私の傍らにはいつも音楽、文学、演劇、絵、なにかしらの芸術があって。

『お前に頼らなくても生きて行ける』といつでも言えるように

そうやって生きて行けば生きて行くほど、芸術という神様がいつもそばにあったから生きて来れた、生きている。逆説的にそう感じる。

グーグルマップと散歩のススメ

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グーグルマップに任意で線を引くことができる!ということを知り、散歩ルートに線を引き始めた。もちろんその線の公開非公開は選べる。マイマップという機能らしい。

ルートが多角形を描くと、図形内が薄く塗りつぶされる。陣取りみたいで楽しい。

あと、引いた線の長さを自動で表示されるので、今日歩いた散歩ルートが何キロ何メートルだったのかがわかるのもいいね!

それから、任意の場所にコメントをつけられるのもいい。知ってる場所でも歩いてみると意外と「こんな場所あったんだ!」という発見が日々あるので、忘れないようにそれをメモする意味でも。

 

死ぬまでにあと何本の道を歩けるかなーー。