自己紹介

アリマカナコ
インターネット超文章担当。文章で作品を作って発表しています。フィクション、ノンフィクション、etc
1991年生まれ。東京都在住。熊本県熊本市出身。
日本大学芸術学部演劇学科劇作コース出身。在学中は劇団を主宰して自主公演を行っていました。
現在は小説、エッセイ、ブログ等々を執筆し、ネット上での発表やイベントでの出展等で活動中。
自身のコンセプトカフェ訪問での出来事や心情をまとめた「メイドカフェご帰宅日記」(2015年)が100部を完売。他著書多数。


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arima.oremeru@gmail.com

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・イベント出展(文学フリマコミティア、自主企画、etc)

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2018.01.01更新

会社員でも美しく生きる

世の中には色んな人がいるということが可視化されすぎて、生きづらさも、美少女好きな女の子も、メンヘラも、精神疾患もたいしたアイデンティティじゃなくなってしまったね

フリーランスディスる会社員は周りにいないけど、会社員をディスるフリーランスは結構よく見る。

私も別に一生絶対会社員!!と強く決意しているわけではないけれど、別にそんなディスられるほど悪いか会社員?とも思う。

「普通じゃなくても普通のふりができれば会社員になれる、とかほんとクソみたいですね」

クソなんでしょうか???まあクソでもいいです。

ていうか私からすると別に会社員やるために普通のふりするとかさえ必要なくて、一定の職能があり定時までに会社に着く能力があれば(←いやでもこれが実際一番大変)、事業を作る能力がなくても人格に致命的な欠陥があっても人脈がなくても友達が全然いなくてもSNSのフォロワー2ケタでも仕事とお金がもらえるという点においては、めちゃくちゃ素晴らしいシステムでは…と思ってますが

 

毎日満員電車に詰め込まれる会社員はそんなに汚くて、フリーランスがそんなに美しいのかよ、と反吐を吐きながら今日も私は美しく生きます。

 

 

 

 

 

 

 

殺そうとして殺しきれなかったそれを、私も「可愛い」と呼びたい

 

AV男優と付き合う、同棲、事実婚…。

もし自分がその立場だったらと毎日心がずたずたになってしまいそうだけど、どんな風に心のバランスを取っているのだろう…と思っていた時に更新された記事が下記だった。

 

恋人が多数の人とセックスしているという事実に対しての痛覚をなくす(なくそうと試みる)

ということなのかなあ、と、想像した。もちろん本来的にそれに関してはもともと痛覚がない、という人ももちろんいるだろうけど。

 

できるだけ苦痛なく生きるために本来的に辛かったこと、痛かったことへの痛覚をなくす、ということは別に恋人が性産業に従事していなくても、心あたりがあるんじゃないだろうか、主に仕事とか仕事とか仕事とかに関して。

ただ本来的にそれに関してはもともと痛覚がない、という場合を除いては、「痛覚をなくすことを解決策として用いるのは、本当にそれでよかったのか?」という葛藤や迷いがいつまでも消えないですわたしは

 

でも、自分の感覚を生かすことよりも大事なことがあるなと思ってしまう時だって一杯あるよな、例えば自分のある感覚を殺してでも一緒にいたい人がいるとか、自分の肉体を生きながらえさせるための手段がそれしか見つからなかった時とか。

私はでもただ誰にも、自分の痛覚を含めた全ての感覚を殺して欲しくない、殺させない、殺そうとして殺しきれなかったそれを、私も「可愛い」と呼びたい

 

 

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かわいいは正義に殴られた私が
いまにみてろと無理矢理つくった
このかわいいは剥がれない
絶対誰にも剥がせない

 

 

 

 

7/17の帰宅について。夏はアイスティーの季節ですね

平山さんがたぶん1年半以上ぶりに担当だった。夏服だった。フリルタイ似合いますね。

 

平山さんと吉川さんのコンビ。私はここ数か月帰宅の曜日と時間がかなりピンポイントに偏っているし帰る頻度も少ないせいか、ここ3か月ぐらい100%吉川さんが担当だ。

それでようやく最近になってわかってきたけど、吉川さんは笑顔を見せることこそ少なめかもしれないけど、別にだからといって特に自分の仕事や関わる人達に対して何か悪意や嫌悪があるわけではないらしいということ…。単純にフラットにご自分の仕事を遂行していくタイプなだけで…。

でそんな吉川さんとの今日の会話

 「ほんとにニュアンスですね。笑 でもわかりましたよ。」

「さすがです!!」

とひとしきり笑い、感心しての出発だった…。

 

割と平山さんも吉川さんもさらりとしたビジネスライクなお給仕するイメージなので私もビジネスライクにさらりとお客様(お嬢様)をやればいいやと変に頑張ったり気使ったりしなくていいのである意味気楽に過ごせる回だった。

しかも平山さんは今日なんとなく終始余裕なさげなかんじがしたので、余計に極力大人しくしてました。

 

杉村さんがお茶継ぎ足してくれたので、

「髪、爽やかでいいですね」

と声をかけたら

「母から電話があって、ペットの犬をサマーカットにしたよと言ってたので、では私もということで」

「サマーカットなんですね。笑」

と話をした。楽しいしスマートな返しだな~と感心した。しかし肌つやつやで綺麗だったな杉村さん。

 

あとお化粧室帰りに青葉さんが拾ってくれて、佇まいや口調にかなり新人オーラを感じるな~と思ってたらその後向かいのテーブルのワインの抜栓やってて、大丈夫かなーと結構まじまじと見てしまっていたら視線に気づいてこちらを見てにこっと笑ってくれた。超新人さんだなって印象だったのに、お嬢様の視線に気づいて微笑む余裕がすでにあるのに感心した。将来有望では。彼の先輩の黒崎さんも「コツはお嬢様に見られているのを意識すること」というようなことを前に言ってました。

ワインの抜栓も不慣れながらに焦らず丁寧に手順を踏んで開けていらした。不慣れな仕事にも「焦らず丁寧に」ができるのはすごい。見習いたい。

 

今回はアイスティーを初めて飲みました。私もしや7~9月の期間に帰るの初めてかも?美味しかった。しかもおしゃれなグラスに作ってくれるのね。アルジャーノンをアイスティーに。足りなかったのでオルソをポットで追加した。平山さんはアイスティーに烏龍茶推してた。確かに冷たい烏龍茶は美味しそう。

あと初めてヤヌス食べた!ワンプレートで思った以上に見た目がおしゃれ。冷製コーンスープ美味しかった~。ギフトショップで売ってほしい。

自分で選ぶのが億劫で平山さんに選んでもらったデザート風のキッシュも美味しかった!なんかエッグタルトみたいで。

ヤヌスなんとなく量的に物足りなさそうなイメージがあって避けてたけど、食欲ない時は食べやすいし、意外とデザート込みだと食べでがあるので普通にお腹すいてる時でも全然アリかもな~とおもった。

 

さらっとしてたわりになんだかんだで楽しんでいた今回の帰宅でした。

 

好きなことを仕事にする人よりも、「好きなことを仕事にできるよ」と言う人の方が儲かるし多くの人に愛される

好きなことを仕事にする人よりも、「好きなことを仕事にできるよ」と言う人の方が儲かるし多くの人に愛されがちだ

ということがなんとなくわかってさえばいれば、全ての選択を何にも間違わないとおもう、自分の好きを仕事にするにしても、そうでないとしても。

 

思いついたこと片っ端から具現化していこうね。

間違った世界の中で最も正しいきみが、自らを殺すと決めたこと。

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根底では繋がっている

幸せに生きられていたらそんなこと思いつけただろうか

最後の最後に踏みとどまらせてくれるものが、何もなかったこと

心が死んで人は無敵になるから - 真夜中に

 

想像する。間違っている人達が自死を選ぶのではなく、間違った世界、間違った人達、そのど真ん中で爆心地として最も正しいきみが自らを殺すと決めたこと。

 

南条あや著「卒業式まで死にません」を見つけたのは、BOOK OFFだった。

私はこの本に呼ばれた気がした。

いやそうじゃなかったとしても、2018年のブックオフでこれ以上に買うべき本があるのか?と思って買った。

 

読んで思い出すのは自分の十代だった。

手首で拍動する自分の血管を見つめて、私はどんなに辛く苦しくてもどんなに死にたくなっても、私は自分の身体を自分で傷つけるようなことは一切できないだろう、と悟ってしまったこと。

死までたどり着きたい日があっても、死の前に横たわる痛みや苦しみや恐怖を乗り越えられる気が全くしなかった。

かといってこの先の人生を乗り越えて未来を描くような力も希望も自分の中からは完全に潰えてしまっていた。

心療内科に行けば何か変わるのだろうか、と思いつつも、ひとたび薬を飲んでしまったらもう戻ってこれないような気がして。

学校も行きたくなかったけど、高校へ通うのをやめて大学進学しなかったら、もう一生家から出られなくなる気がして。

心は空っぽなまま、「そちらに行ってしまったら、もう二度と戻ってこれないかもしれない」その恐怖だけが私をその場に留め続けていた。

それが当時の私の絶望の形だった。

 

南条あやさんが生きていた時代に「メンヘラ」なんて言葉がなくて良かった。

肉体的な痛みや苦しみを凌駕してしまうほどの苦しみが、彼女たちの手首や内臓を傷つけさせているのなら、その苦しみは私が想像できる限界を超えている。

人々の想像を超える苦しみが、すぐそこにはあって、それは明日自分に襲い掛かってもおかしくないよ

という事実に蓋をして安心したい人のための言葉「メンヘラ」

自分と彼女の間に線を引きたい人のための言葉「メンヘラ」

 

私の今日の靴擦れの痛みが、どんなに詳細に言葉にしても絵にしても動画にしてもあなたは私の痛みそれ自体を本当に感じることができない以上、私は誰の痛みも本当は分かっていない。

そのことに、名前やカテゴライズが本当に必要でしたか。

 

今よりずっと牧歌的なインターネットで見知らぬたくさんの人に名前を知られて、きっと愛されて、きっと自他ともに認められていただろう才能があって、自分の表現したいことを表現する媒体があって手段があってそれを受け取ってくれる人がいて、

でもそれらは結局最終的に、彼女の死を踏みとどまる理由にはなれなかったということ。

 

彼女を死に至らせたのは何か?家庭なのか、クラスメイトなのか、先生なのか、学校の枠組みを上手く作りきれていない政治や社会なのか、医療なのか、それとも医療でさえも寛解させられなかった彼女の病気なのか。自分に生きてて欲しいと自分で思えなかったことなのか。

 

 

いずれにしても人はみないつか死ぬけど、でもやっぱ死ぬもんじゃないよな、と思う。

南条さんは、お父さんに「気狂い」と言われたと書いていた。お父さんは書籍化されたその日の日記に、「気狂いとは言っていない」と反論するためにわざわざ注釈をつけていた。

死んだら、生きてる人が勝手に自分に注釈をつけるのを止められない。勝手な解釈に反論することができない。

その腹立たしさを思うと初めて死にたくないと思える。

 

いつだって思う、自殺は死んだその人ではなく、社会の敗北であり芸術の敗北であると。

 

わからない、これを読んでいる人が果たして何人いるのか、読んでるあなたにとって私の言葉はどう響きますか。

つらくてつらくてたまらなかったあの頃、「生きることはこんなにつらく苦しいのに、死にたい人に生きてて欲しい、なんてとても言えないよ」とも、「明日や遠い未来にしあわせになれたとしてもそんなの全く意味がない。今この瞬間しあわせになれないぐらいなら今すぐに死んだ方がマシ」とも思っていました。

でもそうは言っても自分を自分で指一本傷つけることができなかった私は、これならやれる、これは絶対やりたくない、これは楽しいからやりたい

そう言った沼をはいずり泥をすすり血塗れになりながら取捨選択の果てに辿り着いたのが、26歳になっている今日であり、そして今日の私はなんとか結構しあわせです。

しねなかった、でいいから生きてて欲しいです。

という今の私の声は、16歳の私にまで届くでしょうか。10年後の私がしあわせに生きられていることは、やっぱり救いにはなれませんか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

心が死んで人は無敵になるから

あらゆるシステムが経済が政治が、「お前に感情や心はいらないよ」と日本人の耳元で爆音で鳴り続けている。

その結果、人々が駒のように合理的に綺麗に動いてくれるのだったら話は単純だった

心が死んで人は無敵になるから

今日もホームから電車に人が飛び込む

秋葉原で無差別に人を殺すのも 新幹線で人を刺すのも 有名ブロガーをトイレで刺し殺すのも

根底では繋がっている

幸せに生きられていたらそんなこと思いつけただろうか

最後の最後に踏みとどまらせてくれるものが、何もなかったこと

 

それが、絶対に私じゃなかった、あなたじゃなかったと、本当にそう言い切れる?

 

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1日に打ちのめされた後、布団の中で、指先のiphoneで見たこの動画

横浜アリーナのセンターステージで、人々が放射状に逆流していくど真ん中で、たった一人で歌っていた彼女の姿を思い出した。

 

やり尽くしたかって西陽が責めてくる

 

死んだ人達が溢れて腐敗臭を放っている

自分の感受性ぐらい自分で守ればかものよ

って言えないぐらいひどすぎる世の中だから怒るのさえためらう

でも私は私だけは最後まで死にたくないって思っているけど

もうすでに死んでいたらどうしよう