「超移動式楽園キチガイア」大森さんのワンマンに行きました。

 

2017 LIVE TOUR "kitixxxgaia"/大森靖子
ツアーファイナル Zepp DiverCity TOKYO

 

前日にチケットを取ろうとしたらペアチケットしかもうなかった。が、

 

このツイートを見て当日夕方、当日券を取りに電車に飛び乗った。
お台場に向かう、りんかい線のフィクション感ってなんなんだろう。

 

当日券売り場のおっちゃんの、当日券を取りに来た私の背景全て見透かしてる感がすごかった。神か。
開演時刻を数分経過した入口付近は、当たり前だけどスタッフ以外誰もいなくて、当日パンフを降りつつ急いで階段を降りる。
会場内からの音漏れが聴こえる。

急いでドアを開けて中に入ると

ドグマ・マグマ

たくさんのお客さん、光るステージの上には大森さんと、バンドメンバー。

 

ピンクメトセラで、ステージを舞う私。さんを見た時、ああ、やっぱり大森さんが本当にやりたくてでも自分ではできない身体表現を体現しているのが私。さんなんじゃないかと思う。様式美に頼らない、圧倒的自由と美しさを兼ね揃えたあんな踊り、他に知らない。

 

夢幻クライマックス かもめ教室編、アプガがゲストダンサーだった。

アプガはフォーメーションを変えず横並び1列のまま踊り、大森さんがその後ろの1段高い場所で歌い踊る。

みんな、一人のまま踊る。その真ん中で大森さんが一人で歌う。

みんな一人のままなのに、それが合わさって一つの美しいパフォーマンスになることが、奇跡のようにおもえた。

 

オリオン座も、お客さん同士の仲間意識なんか全然ないのに、ひとりひとりの小さな独唱がこの1つの光景を生み出していること、そんなこと、ほんとうにあるんだと思った。

 

最終公演。新🌏zは素晴らしいバンドだけど、この曲だけはどうしてもどうしてもピントカのことを思い出してしまって、あのメロディアスなギターの独奏、オリジナルは高野さんだった、と心の中で呟いた。
私が、大森さんのことをやっと好きだと言えるようになったのは、最終公演が、ピントカがきっかけだった。

最終公演、この日にやってもらえてうれしかった。

 

 

誰にも共感を許さない、お客さんもバンドメンバーも誰も大森さんに追いつけない瞬間があって、でもその瞬間でさえステージに飾られた青柳カヲルさんの大きな絵だけがいつでも大森さんと同じ境地に居て、時間軸が大きく激しく移ろい続けるステージで、あの絵だけが揺らがずでもどの瞬間も寄り添ってこの世界を見つめていた。本当の芸術ってそういうことなんだと知った。

 

大森さんが最後、人差し指を立ててシーってして、マイクを通さず生の声でお客さんへの気持ちを伝えるシーン、たぶんきっと、浜崎あゆみさんへのオマージュな気がした。

 

もう大森さんはとっくに「高円寺の小さなライブハウスで歌っていた無所属女性ソロシンガーが、大箱でライブをやっている」という、感慨やエモさを飛び越えたところでやっている。

それがどれだけ難しいことか、小さいライブハウスから始まってそもそも何にもなれなかったり、あるいは大きな会場でのワンマンを実現させられてもその直後に活休したり解散したりしていったアイドルやバンドのことを思い出したら嫌でもわかってしまう。

音楽になる覚悟、ショーをする覚悟、それをして何を為し得るかのビジョン、実力。

高円寺の小さなライブハウスで歌っていた無所属女性ソロシンガーが、大箱でライブをやりました

その後

その後を見させて欲しい、見て行きたいと、大森さんは私にどうしようもなく思わせます。

エモさは状況が作るんじゃない、実力で作る

ということを

 

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中高時代、自己啓発本を100冊超読んで分かったこと

実家に一杯あったので、自然と手に取り読んでいたんですが、100冊以上の自己啓発本を読んで分かったこと、それは

それを為す動機がなければこんなものいくら読んでも意味がない

ということなんですねー

億万長者になる方法、異性にモテる方法etc...

そうなるための方法論は一杯あると思うけど

無意味な動機づけなんかそれこそ意味がない

 

心からそれを為したいと思え、なおかつそのために正しい方向へ行動することを惜しまずにいられること

これさえできたら、誰だって成功できると割と本気で思ってるし、しかしこのことだけが唯一自己啓発本ではどうしようもない、才能としか言いようがないと思う。動機を持ち続けられるということは、全て。

 

 

 

行きたいところは色々あるけど

宇多田ヒカル In My Room 歌詞

http://j-lyric.net/artist/a001c7c/l000bf1.html

 

心が正にも負にも揺れない日

そんなことはどうでもいい

そんな日こそたぶん外に出た方がいいんだろうけど

あまりにも 何者かになれ 戦え

持ちたくもない剣を突きつけられるようなことが、家の外には多すぎるので

 

 

 

スマホだけを窓にして今日の世界を覗き込む

きらいだと思ったら一生きらい

虚無に支配されて

ラジオの音が耳を通りすぎていく

渋谷 パルコ スペイン坂

憧れも夢も虚像

だけど

ファッション誌のモデルとファンの女の子の

撮影会こそがこの世の楽園なのは本当

 

何も発しない 薄手のカーテンにつつまれて

クーラーで冷えた部屋で

眠っては起きて、スマホだけを窓にして今日の世界を覗き込む

死後の世界

読まれなかった手紙

今日は洋服屋さんを巡った。

流行り初めの頃は好きだったけど、さすがにこうも

化繊でエスニック調の小花柄の羽織

で溢れかえってると、買ってもないのにすでに食傷気味である、、

 

ファッションは排他的でいい、というか、排他的である方が自然な状態なんだとおもう。

敷居の高さが踏み絵で、それでもその服を選んだあなたはその瞬間その服から選ばれる

ブランドは、「定型」

例えユニクロであってもユニクロの定型っていうものがやっぱりある

思うに、なんかこう商業ブランドって、ヲタク向け・リア充向けの線引きが激しすぎてたまに心底辟易してしまう

保守的なブランドの尖った服、激しいブランドのシンプルな服に私が惹かれることが多いのも、そのへんが関係している気がする。

既存の定型に自分を当てはめられない人は、探すか、作るか、どっちかしか道がない。

 

 

 

 

読まれなかったメール、リプライ、手紙

に意味はなかったのか

そんなことはなかった、大人になればなるほどそう思う

何かに焦がれた気持ち、あなたに見合う私で在りたいという祈り

例え私の記憶からそれら全てが消えてなくなったとしても

 

全然言いたくないけど、それでも今言わなきゃいけないことがある

息を吸って、声を発する瞬間

 

ああ、あの頃の勇気が今日の私を作っている

 

暑すぎてフィクション

受け入れがたい暑さ、暑すぎて暑さがうまく認識できず、フィクションを歩いている気持ちになった。

パラレルワールドの私は家でクーラーガンガンの布団の上でひたすら逆転裁判をやっている。他にも色々やらなきゃご飯を食べなきゃと思っているうちに日が暮れる。

実際の私は日が暮れるまで粛々と働いている。

 

飲み会で、レーサー服みたいな服を着た女性が一袋300円のウコンを売りに来る。

新宿だったからなのかなあ。

その瞬間セックスアピールする女性とそれを享受する男性/そうじゃない人

という線を突然可視化し突きつけられて、悲しくなった。それは一体いつだれが引いてしまった線なんだろう。

 

 

 

最近ずっと考え続けてた表現の自由論争については、もう憲法が全てだと思った。

第十二条  この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

憲法で保証されているからといって権利や自由にあぐらをかくな、「表現の自由を濫用していないか」「公共の福祉に反していないか」そのラインを越えてないか越えてないか、いつでも考え続けなければいけないし議論を重ね続けなければいけない。

それは、クレームに対して無思考で謝罪して沈黙する、謝罪した人間を謝罪を理由に血祭りに上げて過剰な自主規制を招くというのとは真逆の、ちゃんと互いが考えて言葉を発し議論を重ねるっていうことだよ。罵倒でも脅迫でもなければ勝ち敗けの問題でもない。

 

 

 

 

今日は桃のパフェを食べた

私はあんまり自己責任論好きじゃない方だけど、風邪にかぎっては咳するひとを呪うより自分の免疫力を上げていきたい。だって無意味にひとを呪うのはしんどい、つらい、、

 

今日は桃のパフェを食べた。缶詰の桃じゃないの!!青果の桃!!!!!

ほのかな酸味のある、みずみずしい甘さが疲れた脳に沁みわたる。桃のアイスの冷たさが疲労に漬かった身体を現実に引き戻す。

今日は、雨で街が洗われた後の綺麗な夕方。

ひよことぺんぎんの可愛いスタンプだけで会話するライン。

世界は、もしかして、美しい?

と思ってしまいそうになる。

 

福岡と大分の惨状をテレビで見た。

日常は尊く、人間は自然に対して無力

それもまた、圧倒的な事実だった。

惨状から目を逸らさないように、テレビを消さなかった。

それぐらいしか今できないと思ったし、もし他に何もできることがないとしても、そこから始めるしかないと思った。