Cui?「爽快に豪快に罵倒し合えよ」@シアター・バビロンの流れのほとりにて

移動時間に自宅から最寄り駅の移動時間、駅から劇場までの移動時間を加味していないから、開場時間頃には劇場に着いている予定が開演ぎりぎりになる。

わかってても改善されない!


昨日はシアター・バビロンの流れのほとりにてという劇場で爽快に豪快に罵倒し合えよというお芝居を見てきました。
面白かったです!

まず、音響、照明、装置がすごい格好良かったです。
装置は劇場の中央に六角形(だっけ?)の舞台と四角い舞台をつなげてあって、その舞台を左右からはさむ形に客席が組んでありました。六角形の角にはひとつずつ椅子が置かれていていました。
四角い舞台には服が敷き詰められていて、そこにスナック菓子とゴミ箱、ティッシュケースがちらほらと。
床に敷き詰められた多様な洋服で、ほんとに汚いもの(生ゴミとか)を置かなくても雑然とした異様な部屋を演出できていました。


とにかく照明がほんと格好良かったです。舞台機構がシンプルな分、照明が映えていました。
照明で空間を指定されたり、視線を誘導されたり、ああ、照明ってそういう力を持っているのか、と照明の役割の大きさを改めて感じました。
六角形の角に置かれた椅子にパン!パン!パン!て照明を当てていくとことか最高に格好良かった。

場転の時の音も格好良かったし、本当場転がいちいち格好良かった!


それから、役者の身体性が生かされてる!と思った。諸所に。場転の時に時々役者が身体を傾けていくとことか、たったそれだけなのに何かが歪んでいく感じというか、不可思議さを感じました。
あと複数人が台詞を言う声を重ねた時が、
「ああ、声を重ねるだけでこんなに言葉が強引な説得力や力を持つのか」
と感じました。

ストーリーは、なんか後からじわじわ来ました。
観終わった直後はなんか感覚だけ残ってて
「ああ、なんでこんな気分になったんだっけ?」と思って、ゆっくり物語を思い出していく。
夢を思い出す感じ。なんかほんと夢の中みたいな話だったし、出てくる人達の妙な人間味のなさというか温度のなさというか。


印象に残ったシーンは、
透が、小学生時代の友人が怪我?か何かをした時に、
「えっ大丈夫!?まじで!?大丈夫!?」
みたいな言葉を掛けた時に内心は
「めんどくせーーーーー。」
「そこでそういう言葉を掛けたのは、心から心配していたからではなく、『最低限の温情はかけた』という体面を作りたかったからだった。」
と思っていた。
というのを描いているシーンがあって、
それはすごく自分にも心当たりがありました。

体育とかで誰かがこけて、みんなが駆け寄ってるから取りあえず自分も駆け寄って
「大丈夫?」
って声かけてみるけど、内心は
「こけたくらいで別に死なないでしょう?」
とやけに醒めてて、言ってる言葉と本心の乖離が気持ち悪い。みたいなこと。
多かれ少なかれ誰しもそういうことはあると思うけど、そこを深く見つめると自分がとてつもなく嫌な人間に思えてしまうから見ないようにする。
でも「自分が見ないようにした」から「そういう部分がなくなる」わけでは絶対になく
見ようが見まいが、事実としてそういう部分は自分の中に存在している。
でもそれはむしろ見ない振りをした方がいいかもしれない部分です。その方が周りも幸せだし、自分も傷つかないから。
人のそういう部分を見つめ続けた人が書いた戯曲なのだなと思いました



もうひとつは、主人公の立場が友人と入れ違ってしまうシーン。
でも何故かその方が自分の周りが良く回っている。彼女とも円満に行っているし、飛鳥も死ななかった。
自分にとっては危機的状況に思えたことを、友人はあっさり消化している。

「あれ、これもしかしたら自分いない方が世の中うまく回ってね?」
ものすごい断絶感。孤独感。
それを悲壮感なく淡々と描いているとこがものすごく残酷だし怖い。
透にとっては残酷な状況だけど、見てる側にとっては何故かその光景は少し救いすら感じるけれど。


ラストそのものに救いがあったわけでもないし、シーンの全てが繋がった!という感触もないし、物語の全ての意味を理解できたわけでもなかった。
でもなんか腑に落ちたっていうか、「はぁ?これで終わりなの?」ってならなかったのは、たぶん、ストーリーの全てを理解できなくても、登場人物それぞれの抱える欠陥だったり傷痕だったりは理解できたからだと思います。

超越者的存在を除く登場人物全員が欠陥を抱えているところが良いなあと思いました。
よく、『主人公以外はみんなへらへらしてとっても楽しそう悩みなんてなーんにもない。主人公だけが癒えない傷痕を抱えてるの…』
みたいな物語がありますが、現実ではそんなのあり得ない。
誰もが多かれ少なかれ欠陥や傷痕を抱えているに決まっているのに。


それで、その欠陥や傷痕としてDVとか、親子の異常な関係とか、下手すれば生々しく痛々しくなりかねないのに、そうじゃなくて良かったと思った。
痛々しくて生々しいのは現実だけで十分です。

そうならなかったのは、あれだけみんな暴力癖持ってるのに直接的な暴力表現がなかったからと、作者が深く感情移入し過ぎてる登場人物の存在を感じなかったからと、超越者的な登場人物の存在、それから登場人物の人間味のなさ、のせいじゃないですかね。



恋人関係や親子関係、友人関係が描かれているのに、最初から最後まで一貫してほとんど愛情や善意という概念を感じなかったのが面白かったです。それが登場人物の不可思議な人間味のなさにも繋がると思うのだけれども。
それは世の中をデフォルメした世界かもしれないけど、でもそれもある面から見た世界の本質のひとつなのではないかなと思いました。
これだけ愛や善意が押し売りされてる世の中ですから、こんな物語はかえって小気味が良いです。


役者陣の演技も好きでした。やっぱり私はあんまり演劇演劇してない演技の方が好きです。
透役のしゅうくんは本当に断絶感や孤独感を表現するのが上手い役者さんだと思います。ほんとに10月は私のお芝居に出ていただいて光栄だったなと改めて思いました。
ななみ役のちーちゃんは、本当に舞台映えする美人だなあと。現実でもそうかもしれませんが、殊にお芝居において綺麗だということは正義だなと実感します。
演技も、「その見た目だったらむしろそういう中身だった方がしっくり来るんじゃ…」と思うほど自然でした。


みんな良かったと思います。この不思議な世界観を誰も崩してなかったです。

あと、良く知ってる人が普段と全然違う人を演じているのを見るのはすごく新鮮です。
「ああ、そういうキャラクターを演じられる引き出しがあるんだ。」
と、新たな一面を見た気持ちになります。