4/17メモ

(演出)
・映画は最大で一千万単位で人が動くけど、演劇は三万人もいないと言われている。
・21世紀は舞踊と儀式の始原的演劇に回帰すると言われている。

(演劇批評)
・批評は己の内側をさらけだす行為。
・演劇批評の質が一時代よりだいぶ下がってしまった
・造り手と批評家の関係がなあなあになってきていて良くない。
これ、私も薄っすら感じてたことなんだけども、でも私なんて端くれの端くれだし、実際どうなのかなあと思ってたけど、第一線で活動している人も同じようなこと言ってて、ああ、やっぱ私の感じたこともそんな遠くなかったんだなあと思った。
・演劇は一回制芸術。対して映画、音楽CDは再生芸術。
再生芸術も好きだけれど、やっぱ一回制芸術に強く惹かれる。地方は一回制芸術に飢えているからというのもあるけど。

(日本文芸史)
・生き残ってしまったものの物語=ニヒリズム

(著作権)
著作物には建築物も含まれるんだって。だから、東京タワーも著作物だと。
あと図形にも著作物だから、地図も著作物っていうのもほほー、と思った。

何が著作物か、より面白かったのは「何が著作物でないか」の方。裁判で競われるのも、著作物かそうでないかの線引きが曖昧な部分で、どこまでが創作でどこからが盗作なのか?という部分なのだそう。
著作物から除かれる情報
1ありふれた定石的な表現
でも「創作性」のある物(=著作物)に当たるものはかなりハードルが低くて、ただのスナップ写真も著作物だと認められた判例もあるらしい。
2事実やデータ
だからルポライターはどれだけ苦労して新しい発見をしても、その事実を独占できないんだって。
3アイディア
料理のレシピが著作物ではないという根拠はここにあるんだと初めて知った。ただし、レシピの文章表現には著作権が認められているからそこは注意が必要とのこと。
だからパスティーシュ(作風の模倣)もOKなんだって。だからAKBN0はAKBから訴えられないんだ!とアイドルで考えると飲み込みやすい。
そこで近年問題になっているのが、「現代アート著作権」なんだって。現代アートはアイディア一発勝負のものが多くてアイディアと表現の距離がとても短いから、そこの判断が難しいらしい。
磨いた鶏卵、とか、落雷地帯に避雷針200本埋めて雷集めて落とす現象という現代アートもあると聞いて、ちょっと興味持った。

4題号(原則として)
スネ夫、とかの人名、一部の俳句、標語、なども著作物に含まないと。キャッチコピーとかもほとんど著作物には当たらないのだそう。

5実用品のデザイン(原則として)


(企画制作)
企画制作者・プロデューサー…クリエイターをどう生かしていくか、観客に何を見せるかを考える仕事。

・演劇はもっと広く舞台芸術としてとらえていくべき。
・演劇の造り手達はややもすると観客不在のものを造りがちだから、商業演劇としてやるならプロデューサーがきちんと、観客、社会と生活、文化や時流を考えることが大切。
つまり、経営者的才覚が必要だってことなのだろうなと思った。


(文芸批評)
この先生どっかで見たことあるなあ…と思ったら、こないだドラえもんの話してた授業だった。あっちの授業はいまいちだったけど、こっちの授業は面白かった。基本的にこの先生は授業の題目に関係なく自分の好きな作家の話がしたいだけな気も…。面白いからいいんだけど。
ドストエフスキー、特に罪と罰を主に取り扱うのだそう。
そういえば昨日、図書館でゴリ推しされてたから罪と罰借りたな…と思ったら、この先生図書館長なんだった。だから、図書館でゴリ推されてるコーナーこの先生の趣味かなり入ってるよく考えたら。ドラえもんとか、こないだの授業で紹介されていた日本人作家とか、罪と罰とか。なんかしてやられた感あった。

・日本は、作品やテキストではなくそれを通して作者の考え、思想を問題にする=人間批評/人間主体
芸能リポーターも「芸能」のレポートじゃなくて「芸能人」のレポートばっかりしている。
なるほどなあ。そういえば私もいつ頃からか、浜崎さんの楽曲というか、作詞を通して彼女の内面やその変遷に眼を向けるようになっていたよ。
つまり人間批評ってヲタとやってること一緒じゃん!と思ったら急に親近感湧いた。先生はドストエフスキーヲタ。そしてヲタの話は総じて面白い。
・人間批評と相対するのが印象批評。
・非本来的原存在…「好奇心・お喋り・曖昧」どうせ死ぬんだから楽しく生きよう!
・本来的原存在…死を前提にして生きている
・この非本来的原存在と本来的原存在の間を死ぬまでうろうろし続けるのが人間。
・人間の謎を解き明かすために書き続けたドストエフスキー