自殺日和 2

それからも「自殺ごっこ」を繰り返した。いや、死にたい、死のうと毎回本気で思っていた。だけど一日が終わって見ればいつも、その死への情熱さえも薄れてしまっていた。
それを幾度も繰り返したある日、またもや電車に飛び込み損ねて、だけど家にそのまま帰る気にもなれなくて、近所の公園に寄り道した。公園のベンチに座ると、眼の前には鉄棒があり、ここに縄を結んで首をくくれば死ねるだろうなあ…と思ったけれど、それすら無邪気な妄想でしかないこともどこかで分かっていた。
大きな溜息をついた。ふと、段ボールや汚い荷物が固めて置いてあるのが目に入った。ホームレスだろうか…。俺はホームレスになんかなるぐらいなら死んでやりたいけど、ホームレスって一体どういう神経してるんだろう。考えながらその段ボールをじっと見ていると、突然肩をぽん、と叩かれた。
「ひっ!」
跳ねあがって振替ると、そこには小汚い、つぎはぎだらけの服を着た肌の浅黒いおっさんが立っていた。
「な…、なんすか。」
おそるおそるそう聞くと、ホームレスは鷹揚に笑って答えた。
「お前、新入りか?色々教えてやろうか。」
そう言いながら男は俺の隣にどっかりと座った。公衆トイレの匂いを十倍濃縮したようなどぎつい臭いが鼻をつく。
「ちげえよ。そんな乞食みたいな生活するぐらいなら死んだ方がましだね。」
俺はベンチのぎりぎり端に座って男と最大限距離を取りながら答えた。すると、ホームレスは喉の奥でくっくと笑いながら
「いや、お前は死ねないね。」
と言った。
「は?」
「俺だって好き好んでこんな生活続けてると思ってると思ってんのか?死ねる奴はこうなる前に死んでんだよ。」
「だろ?だから俺も…」
そこまで言いかけて遮られた。
「いや、お前は死ねないねえ。そういう面構えじゃねえ。俺もそうだからよく分かる。」
「お前と一緒にするんじゃねえよ。」
男は鼻で笑って一蹴した。
「お前と一緒?ふざけんな。俺は生き抜いてやるさ。こんな生活早く終わらせて、俺をこんな目に合わせてやった奴に復讐してやる。」
ギラギラとした眼にぞっとした。ライオンを眼の前にした小動物はこんな気分なのかもしれない。だけど同時にどこかで気持ちが萎えていく自分も感じた。
「復讐ねえ…。」
溜息混じりに言うと、男は不服そうに答えた。
「なんだよ。」
「疲れそう。」
「疲れねえよ。」
男は少しむっとした様子だった。
「俺だって死んで欲しいとか一生恨んでやるって奴たくさんいるけど、復讐する気なんか起こらねえ。だってだったら自分が死んだ方が手っ取り早いじゃん。」
そう答えると、男は立ちあがって、鬼気迫るように俺を睨みつけて言った。
「そう思ってるんなら早く死ねよ。死ねないんだろどうせ。べえべえガキみたいにぐずっててもお前の居場所なんて誰も与えてくれないんだよ。誰がお前みたいなクズに同情する?俺は殺してでも奪ってやる。お前は一生そうやって同じ一日を繰り返してろ。俺はそんなのまっぴらごめんだね。死ねよ。死にたいんだろ。だったら今すぐここで死ね。」
「本当に俺が死んだらお前は人殺しだからな。」
脅すつもりでそう言ったら、男は鼻で笑った。
「そんな弱いやつこの世にいらねえんだよ。死ね。」
「…。」
「お前や俺みたいな人間を一体誰が救ったりする?救われるわけないだろ。奪いに行かなきゃ誰もおこぼれなんかくれやしないよ。」
「俺は絶対に死ぬからな。お前はそうやって生きて行くことをそのうち必ず後悔するさ。」
そう吐き捨てると、俺は男に背を向け駆けだした。
あんな奴、早く失敗して絶望して現実を思い知って打ちのめされてしまえばいい。苦しめ。自殺しろ。死ね。死ね。死ね。思いつく限りの憎しみと呪いの言葉を全身全霊であの男に念じた。ただ、あの男の戦意に満ちたぎらぎらした眼と声、人間が有機物であるということを嫌でも痛感させるあの悪臭が、胸の中で焦げ付いていた。それは拭おうとしても拭えなかったが、だけど今さらどうしたらいいかなんてまるで分からなかった。
 すぐに息が切れてしまって走るのを辞めた。どこまでもどこまでも駆けて行けそうだった少年時代は一体いつの間に終わってしまっていたんだろう。
 コンビニの前を通りがかると、アルバイト募集のポスターが自動ドアのガラスに貼られていた。それを見つけた瞬間、俺は携帯を取り出し、ポスターに書かれている電話番号を打ち込んだ。その時の俺を凌駕していた感情は覚悟でも戦意でもなく、どこまでも諦めに近い感情だった。

少し躊躇った後、俺は発信ボタンを押した。
不毛な輪廻から抜け出して、また違う不毛な輪廻に踏み出そうとしているのは自分でも十分分かっていた。それでも踏み出した理由は、自分でもよく分からなかった。

電話のコール音は、永遠に続くように思えた。