差別について考えた話

考えながらツイッターでずらずらと書いたらすっきりしたからログとっとく。

実生活でもあとネット上で文章読んでる時でも最近もやっとすることがあって、そのもやっとしたものについて考えてみた

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私もだけどよく知らない人のこと嫌いな人ってたくさん居て、でもそういう言っちゃえば見えない敵からの自衛のために敵意剥き出しにしたり悪意をまき散らしたりすると、知らない誰かの「よく知らない人嫌い」の気持ちを煽って、そんな自分の姿こそが一番自分が嫌っている人間の姿なのでは…
という不毛さみたいなことについて最近考える。


@×× なので嫌いになるとこまでは個人の自由だけど、でもそれを剥き出しにすると色々歪んでしまうんだろうなーと思いました。


自衛のために先制で(知らないひと相手でも)他人を傷つけるみたいなことは避けたい。こっちが嫌な思いさせられるまでは攻撃力発揮しないようにしたい…って自衛隊みたいな話だなあ。専守防衛か。


罪を憎んで人を憎まずと、嫌いな人の特性を全体化して知らない人まで嫌うのは違うことだ、とここまでは確かにそう思うんだけど、でもやっぱりヤンキー風な中高生が店に来れば万引きを警戒するみたいなことは十分にあるし私も思うしでだな…


つまり、差別心は多かれ少なかれどうしても誰もが持たざるを得ないけど(それでもできるだけ持たないように努力はしたい)、それを根拠に鬼の首取ったように誰かを貶めたり不快な思いをさせたりして良い理由はないと、そういう話を私は今ずっとしてるのか


最近ずっとこのへんでもやっとしてたからちょっとすっきりした。



差別とは元来、差をつけて区別することであるが、社会学においては特定の集団や属性に属する個人に対して特別な扱いをする行為を意味する。国際連合は、「差別には複数の形態が存在するが、その全ては何らかの除外行為や拒否行為である。」としている。

http://goo.gl/R6hTQ

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サブカル嫌いブス嫌いモノノフ嫌い、働いてる店にヤンキーが来たら万引きを警戒するとか、そういう他人の特性、特徴で人を嫌ったり内心対応を他の人と変えること、ああそういうの全部差別って言うんだなっていうところに行きついて、そして差別心はある程度は持たざるを得ないけどでもそれを根拠に人を貶めていい理由はないって結論が出てすっきりした。
実際どれだけ正義漢を気取って自分は差別をしていない!とのたまっても、全員多かれ少なかれ差別心から逃れ得ないですから…。
ただ差別と正義漢を履き違えて無意識に差別をまき散らすのが一番ヤバいやつだから、差別しません!と言って、自分の差別心に蓋をして見て見ぬふりをするのではなく、しっかり自覚してきちんと自分の差別心を飼いならすことがとても大切なことのように思った。