たのしく生きるための

今日は面接、帰りにケーキを買って帰った。

リクルートスーツ姿の人がわん泣きしてたとかいう話を聞くたびにガン萎えするから、自分がリクルートスーツ着ている時は出来るだけ楽しそうな顔をしていたいと思う。
面接帰りにTAKANOのケーキが入った箱抱えた私の姿が楽しそうだったらいいなーどうかなー。

電車で疲れ切ったサラリーマンが寿司詰めなの見て就職嫌になったって話も聞きあきたので、早く東京の満員電車が解消して、みんな楽しそうな顔で電車に乗ってて欲しい。
スタバで勉強してる人は時々嘲笑のネタにされることがあるけど、スタバが「スタバで勉強してる自分のことがが好きになれる場所」なら、スタバは素晴らしい仕事をしている。
スーツを着て電車に乗ることが誇らしいことになると良いな〜〜〜〜。

自尊心を持つこと、自分を好きになることはなぜ嘲りの対象になったり、全力でしかも正義面してその自信を叩き割られなきゃいけないんだろうな、と思う光景はどこででも一杯見られる。
と同時に、どんだけ叩き割りにかかられても自分のそういうのを守りきる強さも持たないといけないね、ということも思う。
それ以前に私が持たなければいけないのは、自尊心に満ち満ちた人を目の前にしても心折られない強さだなー。

不幸な顔しても幸せそうな顔しても結局誰かしらを傷つけるなら、しあわせそうな方が良いとおもう。


面接行ったら面接官のそこの社長さんが何問か逆質問をってことだったのでいくつか質問してみたら、それがみな打てば響くと言った感じですごかった。簡潔に分かりやすく、自分の経験と実感に裏打ちされた話をしてくれてそれがすごく面白くて、何よりその人自身のすごさみたいなのが話の内容、たたずまいとかから伝わって来て、ああ面接が上手いっていうのはこういうことかと思った。
就活対策なんかでよく聞く
・自分の経験から、自分の目線からの実感を伴った話をせよ。その方が面白いし個性が出るし説得力がある。
っていうのはこういうことなのかと、その通りすぎてぐうの音も出なかった。


帰って司会者とゲストの組み合わせのバラエティ番組見てたらしみじみと、どんな場でも面接スキル的なものって求められてんだなあ。と思った。
そんなこと思いながら見ていたので微妙に気が休まらなかった。


たぶん合理的なことと、事実、真実、可能性のパーセンテージがどれくらいか、といった話って別物なんだなってことを最近よく考える。
例えば、私が実際に本当に本当の所社会に向いているのか?と吟味することはあるひとつの真実や事実に迫るかもしれないけど、働こうと決めたんだったらそんな吟味は無意味で、どうやったら働けるか考える方が現実的だし、どうやったら働けるか考えた結果、「私は社会に向いていると思いこんで面接なり書類作りに臨んだ方が良い」って結論が出たなら、そう思いこんでやった方が良い、みたいなこと。でもその思いこみは実際自分が社会に向いているかどうかなんてとこの事実は度外視なんだよ。


これを考えて、去年「心折れてはいけない」って思ったことを思いだした。
自分がダメかダメじゃないか吟味して、その結果自分はダメだと結論づけて心折れて動けなくぐらいなら、自分はダメじゃないと思いこむことでリソース確保して練習なり行動なり重ねた方がはるかに生産的だという。


だからこの合理的な考えっていうのは人の心を楽にさせる考え方なんだけど、でも合理的な考えっていうのは何かしら目的があって初めて成立するものだから、だから夢や目標、目的を持つことは大切なんだと声高に主張する人が世の中にはたくさんいるのだという風に私は解釈した。
無目的は誰に取ってもすごく辛いことなんだろうな。きっと。ありのままの人生をただそのままに受け止めようとするのはとてもつらい。
だから合理的な思考を持つっていうのは、自分を救いうる。


でも目標、夢、目的を持つっていうのはかなり力のいることだから、持てない時があるっていうのもすごくすごく仕方ないことっていうのもそう。別にやりたいなんて全然思ってないことを目的にするなんてできないし。
そういう時は動けるだけ動いて、休めるだけ休んでってそれしかないなって思った。



魔女の宅急便で一番好きなくだり。

「でも、やっぱり飛べなかったら?」
「描くのをやめる。散歩したり、景色を見たり、昼寝したり、そのうちに急に描きたくなるんだよ」
「なるかしら?」
「なるさ」