生きる生きない

生きてる人に対してはその人がどんなにつらそうでもこちらに「どうかそのつらさが癒されるような未来が待っていますように」と祈る余地を残してくれるけど、自殺のニュースにはそれが一切なかった。

前は、自殺が救いだと思っていてほんとに苦しんでいる人を目の前にしたらそれでも生きろというのはあまりにも残酷なんじゃないか、本当にその人を思うなら死んでもいいよというのが本当の優しさなのではないのかと思ってたけど、今はそうは思わない。どれだけ辛そうでも生きろということが相手を追い詰めることだとしても手を替え品を替え生きろと言い続けなければならないと今は思う。
少なくとも絶対に背中を押すようなことだけはしてはいけないと思った。何故なら私が生きているからだ。


件の話を聞いて思ったのは、ああ、本当に心から死ぬと決めてしまった人間を止める言葉や音楽はこの世にはないんだなと思った。
あれほどの才能を持った人の音楽を持ってしても肉親の自死を止められないのなら、どんな誰かや何かだったら止められたんだろう。
「私には○○しかできない」とか全部嘘だなと思った。誰も何もできやしなかった。


この世の全てのものは生きようとしている人たちのためだけに用意されてるし、私ができる数少ないこと(働くとか言葉を発するとか、その他人と接する中でのこと)も考えてみれば根本的には生きようとしている人達に対してだけなんだなって思うと悲しくなった。
でも少しでも生きようという意志があればたぶん繋ぎとめてくれるものはきっと一杯あるはずなんだっていうのは救いなのかもしれない。というよりもそういう人は絶対に繋ぎとめないといけない。

生きようって人達がなるべく辛くなく生きて行けるようにできること考える。それで、そうではない人達に対してできることも考える。