「心を強くする」はただの手段に過ぎないんじゃないの

昨日松岡修造が子どもにかなり厳しめにテニス教えるっていう特番やってたんだけど、その子どものみんなの動機(いや動機付けといった方が正しいか?)が「心を強くする」
っていうのだったらしく、そこできもちわるくなって消してしまった。テニスやるためにテニスやってんじゃないの!?みたいな。
それは出会い探しのためにスポーツ教室行くみたいな馬鹿馬鹿しさがないか。

スポーツで心を強くするみたいなことは確かにあるだろうし、動機がなんでもスポーツがその人に良く作用することってもちろんあるだろうけど。
でも「心を強くするためのスポーツ」「スポーツをすると心が強くなる」って誰にでも当てはまることじゃないのに、なんかその考え方が万能であるように捉えている人が一杯いるのって息苦しいし、スポーツに不向き(というより、スポ根が不向き)な人が生き辛いのってほんとにそれでいいの?
みたいな、そっちのことばかり考えてしまった。

どう勝つかとかも大事だし、サクセスストーリーだって面白いけど、でももうそんなの十二分にあるんだから、負けた後、あぶれてしまった後どうしたらいいのかを私は教えて欲しかった。