3月11日

3月11日について何か書いたことってあったか?と、過去の記事見てみたらそれらしいものは見当たらなかった。でも書いた記憶があるから、消したのかもしれない。
家と授業、それと週に2回のアルバイト。震災前大学1年生の頃の私の世界はこれだけだった。
幸いにして東北に親類も友達もいなかった私は、でもだからこそ地震にどう向き合ったらいいのかわからなかった。
わからないのに、でもあの時誰もがきっと考えたように、私に出来ることは何か考えた。けど、何もなかった。
絵も描けないし歌が歌えるわけでもなく、私が何を書いたとしても誰も読まないし、誰も私を知らないし誰も私に興味がないし、ぽつねんとした私が他人に対して何が出来るかって、何もなかった。
揺れた時、ほんとにリアルにあ、これは死ぬかもしれないと初めて思って、そしてあの時本当に死んでたのが私でもおかしくなかったわけで、実際私も感じたあの揺れが何万人も殺した。
それで、外に出るようになった。
劇団を立ち上げて初の教室公演を打ったのもその年で、気になるアイドルやバンドのライブにちゃんと足を運ぶようになったのも、興味を持った所に実際一度行ってみるようにするってことをはじめたのも、参加不参加選べる催しや学校の授業に、その前までは全部不参加にチェックしてたのを、とりあえず一度は試してみようってことでとりあえず全部参加にチェック付けたのもその年だった。
今でこそここで挙げたようなことは私にとってはみんな当たり前のことで日常だけど、だけど当時はそのひとつひとつが初めてのことで、超保守な私にはその一つ一つがとても戦いだった!(でも出かける時の億劫さとは相変わらず戦いだけど)
当時はなんかもはやそれが使命感だった。
そしてその戦いの結果知ることができた大好きな人達、場所、思い出っていうのはとっても宝物!!

だけど、楽しいこと全然なくてもいいから、悲しいことや傷つくこと極力減らしたいから家から出たくないって思う日もやっぱりいまだに一杯あるけど、でも、外には出て行かないといけないと思うし、もっと色んなこと見たり聞いたり感じたりしたい。色んなことが知りたい。
そう、ずっとある色んなことを知りたいっていう欲を満たしていかなければならないっておもった。

今でも私には何が出来るか?と問うてもやっぱ何にもないと思ってるけど、でも私はただ私自身のために、何があっても腐らず真摯に生きていきたい。



震災を思うといつもこの曲が浮かぶ

歩いたら歩いただけ 死ぬ確率はあがる
歩かなきゃとりあえず 人間はどうせ死ぬ