好き。

やっと職が決まり怒涛の新生活と文フリ準備の両立の生活が落ち着き、さあこれでライブも行けるぞ!!というところでうみのてがしばらくライブを休止するの報を聴いてさびしい。そんなのわたしの勝手な話だけど。
今週はずっと明日を楽しみに生きてきた。


好きなひとたち、好きなもの、を、大切にする。ってどうすればいいんだろう。それに対峙する自分はどのように在ればいいんだろう。っていうことを本当にもうずっとずっと十五年以上本気で考えている。
ここ4〜5年は、好きになり過ぎて自分の感情に溺れてしまうことは、かえって相手の本質から目を背けることになるのではないだろうか?
という自分が立てた仮説の元に、なるべく好きな対象に対して冷静で客観的な眼も持つようにすること。好きになりすぎて迷惑をかけてしまうことにならないよう、好きの気持ちが大きくなりすぎないようにすることを極力心がけていた。
「好き」の感情が自己満足になるのがすごく嫌で嫌でたまらなくて、その感情が相手のためにならなかったり迷惑になったりするぐらいだったらなくていいしなくさないといけないって思ってた。

でも最近はちょっと違うかもしれないな、と思いはじめてきた。
例えそれが全く相手のためにならなかったとしても、「好き」は結局自分のためにある感情だよなと思ってて、私はこの数年「好き」が自己満足に陥らないように、好きの押しつけを相手にしてしまわないように、ということにものすごく注力してきたけど、でもやっぱりどう頑張っても「好き」は自己満足の域を出られなくて、「それは相手のためにある。」とはどうやっても言い切れなくて、だから結局「好き」はどうがんばってもまず自分のための感情だな。という所に戻ってきたのだった。
「相手のために」と「好き」はどう頑張っても同一化できない、別物だとわきまえた上で、じゃあ自分はその好きな相手のために、相手を好きな自分のために、何が出来るのかっていうことをこれからの年月で求道していきたい。

その「好きな相手のために何ができるのか」の回答がここ数年、「私が相手をあんまり好きにならないようにすること」と自分の中で出てしまったからわたしはその答えになってない答えを愚直に実行し続けてきたんだけど、これからはそうじゃない回答をなんとか見つけられたらいいなと思います。