春の私と夏の私と秋の私と冬の私が全部別々なら、夏の私はまだ6歳にも満たない。

性欲とか自己愛とかお金とかヒエラルキーとか、そんなんどうでも良くてただ「好き」ってことだけでいいのに、どうして他人は他人の「好き」を適当にラベリングして掌握したつもりにならないと気が済まないんだろう。

先日はネカフェに5時間こもりましたがそれでもなおシャーマンキングを読み終わることができませんでした。
愛と目的の間で揺れ、情に流されて目的を完遂できないのはただの馬鹿なのだとしたら、でも愛を捨ててまで完遂すべきその目的はじゃあ本来何のためにあったのか。ということをひたすら問い続ける物語のように思う。


私は何なら誓えるかなー、と、考えたけど、何も出てこなかった。明日には、明後日には、思い浮かぶかな??


15歳を過ぎたら全部余生だけど、だったら楽しく過ごしたいな〜。