自動操縦モード

中学校低学年ぐらいまではずっと自動操縦モードで生きていた。
でもそれだと生産性が上がらない気がして、常に理性的に生きる訓練をした。
それは実現したけど、でもなんだか理性で生きてる時は自分は何が好きで何が嫌いなのかさえよくわからない。
自動操縦モードの時は自分が何をしたくて何が欲しくて何が好きで何が嫌いなのか明確にわかる。でも全部剥き出しになるから嫌
今日は帰って来た後GEOに行ってレンタル返して借りて電車で職場の最寄を過ぎて逆走して全然最寄じゃないビレバンで漫画とCD買って桂花食べてまた帰ってきた。
桂花好きな系統だけど私にはしょっぱかったな。角煮ちょっと冷めてたし。

ビレバン行って会計済ませて出たら、警報が鳴って止められた。装置外し忘れてたって。いや、あやまれよ。よかったよね私がイヤミなおっさんじゃなくて。
別に掲示求められてないけどレシート提示したら無視されたけど、ちゃんとせめて店出るまでレシートもっとくって大事だなあとおもいました●


コンビニでのチケットの発券期限が今日の21:00で、それに気付いたのが電車の中で20:55だった。
改札を抜けて、出たことない適当な出口をのぼりながら「出たら必ず視界の範囲内にファミマがある」と思って上がったらほんとにあった。都会すげえな。それで20:59に発券した。


嫌いを4年かけてひっくり返された。そんなことってあるんだ。
「そんなに必死なのに、私にはそれがどうしても伝わらない。」が4年かけて届いた。どんなに懸命に真摯に伝えようとしても全く伝わらないことがあるというあの時の絶望ごと反転した。
最初から本物ってわけじゃなかったものが本物になってく過程ってあるんだ。
本物になれたってことは元から本物になれる素養があった、という言い方が出来るかもしれないけど、炭はダイヤじゃないからね。
一度嫌いだと表明したものを後になって、しかも売れてから好きだと思うのは不誠実だという気持ちが強くあったから、もう絶対に全ての作品を私の感覚器官からシャットアウトしようとし続けていたのにダメだった。私の負けでした。


暗い街を見つめると、どこへでも行けそうでだけど電車が止まった時間になるともうどこへにも行けない気持ちになる東京でさえ。
いつだったかの夏、実家で眠れなくて高校の頃の絶望の気持ちがあの時の感触と強度そのままによみがえってきて真夜中に家を飛び出したけど、車もねえし市電も動いてねえしでどこへも行けない気持ちで一杯だった中、街灯とコンビニの明かりになんだか救われて、
もう大人だから、夜に家を抜け出しても誰にも何も言われないし、どこでも行けるよ、と自分を諭しながら歩いて帰った。