才気

11/17

主語や修飾語がそれまで一度も出てきていない話をしても、さらには発話者のことを全く知らなくても、同じようなものを見聞きしている人は何となく何の話をしているのか分かっているのが面白かった。当たり前か。
美しい言葉を愛しているけれど私はそれを紡ぐことができず、可愛い女の子を愛しているけど私は可愛い女の子じゃない。
もっと露悪的になれば羞恥を晒せば傷跡になるようなことを言えば、だけどそれにおぼれる悲惨さを何度も見聞きしてきたような気がする。
そこに才気を感じることがあるけど、でもそこに才気を感じて褒め称えることを果たして本当に是としていいのか、という命題を残してBiSはいなくなった。でもインターネットはそういう才気が大好きだ。
穏やかになったり優しくなったりすればすぐにもう才能は枯れたと見放していく。と分かっているからさらにどんどん過激になっていく。当人も当人を愛する人たちも傷ついていく。
他人が「つまらなくてもいいから幸せでいて欲しい」と願ったところで、当人の幸せの条件が「傷ついてでも面白くなること」と設定された瞬間に永遠に救われないループにはまる。
今のままじゃダメだし右にも左にも上にも下にも行った先がもう見えてるから行けない、みたいな閉塞感に陥ることがよくある。

与えられたどんなフォーマットの中でも好き勝手書けてなおかつそれがちゃんと伝わる力を早く手に入れたい。



11/18
どうにも空で、空なら空なりにそれを物語にしてみようと思って書いたのが卒戯だったけどまあ上手く行かなくて教授にも何が書きたいの?と言われた記憶がある。わかったのはエネルギーのあるところにしか物語は発生しないということ。当たり前すぎる…。

もうどうしたらいいって、頭使って「やってみた方がいい」と判断したことを実直にやっていくしかない。
どうせ何やったって100人が100人全員正解だって言ってくれる答えなんて何一つないんだからそれはもう好きにやっていいってことだよ。