コンプレックスがモチベーションにならない。

コンプレックスがモチベーションにならない。中学生の頃は、自分の何もかもが好きじゃなくて、努力すれば自分のことが好きになれると思って勉強を努力した。だけどいくらがんばっても自分の及第点はもらえなくてちょっと休憩した瞬間に「ほら、だからダメなんだよ。」と自分の中から声が聞こえて、ますます嫌いになった。結局、受験が終わると同時に潰れてしまった。それからは、それまで全然好きになれなかった「がんばれない自分」として生きていくことになった。動機にしていたはずの、誰かを見返すため、とか、社会的に勝利する、とか、巨万の富を得る、とかいうことが実は自分にとって全くモチベーションにならないことに気づいてしまった。がんばらない人が好きじゃなかった。なのに今の私はがんばってない人。がんばる動機が見つけられない人。
自分で自分に落伍者の烙印を押して、がんばれない自分を受け入れられないまま地底を這いずりまわるような気持ちで生きていた高校時代。
それでも、勉強をがんばれないならがんばれないなりに他にやれることをしよう、と思って、部活に入ってみたり(一ヶ月でやめた)、応援団に入ったり(向いてないとおもって一回きり。二度と入らなかった)、中学の友達のライブを見にライブハウスに行ってみたり(ボーカルと演奏の音量のバランスがおかしすぎてうるさいだけだった)したけど、結局面白いと思えたのは、毎週ツタヤで映画1本と漫画10冊を借りること、雑誌を読むこと、そして、文化祭で演劇の作、演出をやったことだけだった。
だけど、やれることを、やれることを、としているうちに、やれることの中からやりたいことが見つかり、それを手繰り寄せていくと、東京の演劇学科のある芸大にたどり着いた。推薦で大学に受かってから東京に越すまでの三ヶ月は、学校もさぼって家でやりたいことだけやっていた。料理をしてみたり、近所を散歩してみたり。高校時代の最も穏やかでしあわせな日々の記憶だ。
大学に入ってもしばらく休息の日々は続いた。休んでるうちに段々「がんばれない自分」というコンプレックスの苦しみもそれまでより薄れた。
重たいコンプレックスに必要なのは努力よりまず休息だ。そう思う本当に。コンプレックスをなくすための努力が自己肯定に繋がらないタイプの人は余計にそうだ。
コンプレックスを凌駕しよう解消しようとやっきになって振り回されてしまうより、なだめすかして、いやそこまで悪くもないんじゃない、とか思ってみたり時には利用して奮起してみたり。どうせゼロに出来ないのなら軽やかに乗りこなせるようになれたらいいなあ。