あなたの自由とわたしの不自由

あるカテゴリのブースでの、DJタイム。
ブースでその日のほぼ最後の催し。色んな場所で色んなことが起こっている中、一日中ほかになにも見ずずっとこの広場にいたんだろうなって人がたくさんいる気がした。
振りを正しくなぞるためのダンス、昂りの表明ではなくただ誰かと動きを揃えるためのヲタ芸で、会場の誰もが一様に同じ動きをする。その動きは、自分じゃない誰かが決めた何かを(たぶんその人にとっての「正解」を)なぞるための動き。
振り付けを知らず、ヲタ芸も打てない曲が流れると、みんな途端に棒立ちになった。
誰かが「踊れない…」とつぶやく声が聞こえた。わたしには息が苦しくなるほど圧倒的に不自由な場所だった。

踊ること、跳ぶことは、重力からの解放、自由に向かって手を伸ばすことだと固く信じていたのにあの場所での「踊る」は、全然違う意味を持っていた。
踊る技術がなくても、振り付けを知らなくても、ヲタ芸がまともに打てなくても、初めて聴く曲でも、踊れない曲でさえ、わたしは好き勝手に自由に踊ったり跳んだりするけど。

ていうかよく考えたらそもそもわたしは人と動きを合わせるの苦手だった。小学校の頃ラジオ体操でさえちゃんとやってないって言われて怒られてた。体育祭の入場行進が嫌で体育祭実行委員やったりしてた…。
その時のタイムシフト見たら、私がいる場所は思いっきりブースの中であるにも関わらずカメラからは存在を無視されていて、いないようだった。
ふと一瞬だけ映って、私は振り付けでもなければヲタ芸でもなければダンスでもない動きを一人でしていて、あきらかにそのブースと私の文脈は異なっているということがその一瞬で分かった。
異端が去れば全ては正常に戻る。それだけのことだった。
同じものが好きなはずなのに、どうしてこんなに誰とも同じになれないんだろう。あの場で私は正しく一人だった。