記憶の引き金

大人になってくほどに経験の総量が増えて行く、楽しかったこともそうじゃなかったことも。忘れたいことも増えていく。

忘れたいことが一つ出来ると、それを想起してしまう単語やシチュエーションが無数に増える。

他人にはその人の「忘れてしまいたいこと」が何なのかわからない。本人もその出来事を忘れようとするあまり、何故その単語が過剰に引っかかってしまうのかに自分で気付けない。

今日、ツイッターで万単位のフォロワーがいる女性が「おごってくれる男の人は格好いいとおもう」と発言したことに対して、親でも殺されたのかって勢いで彼女の人格否定をリプライで始めた男性が一人じゃなく複数いた。その言葉が刺さってしまうような、柔らかい場所があったのかもしれないとおもった。

 

「忘れたいことがある人」が忘れがちなのは、自分には忘れたいことがあり、過敏になるがゆえに第三者が無邪気に発するそれを想起させる言葉に勝手に傷ついてしまい、そのことを「攻撃された」と捉えて過剰に怒るけれど、でも相手は何に対して怒ってるのかさえよくわからないのだということ。

 

哀しい記憶に傷つかない不感症の怪物になることを選べば、他人の繊細さをも忘れきっと不用意に傷つけまくってしまうだろう。

傷つくことができる感性を守ろうとすれば、記憶を想起させる言葉を発した相手を勝手に加害者に仕立て上げ、正義感に苛まれながら切りかかってしまうのかもしれない。

そのどちらの怪物になるか選ぶのが大人になっていくこと、だとはおもいたくないけれど。

 

エンタメの世界ではファンタジーものが人気らしいとどこかで聞いた、今日本で売れまくってるバンドもファンタジーを標榜している。

腐女子ボーイズラブを好むのも、内面から人間性を排除された女の子とセックスする漫画を虹ヲタが好むのも、みんなみんな、思い出したくないことを思い出さずにすむことを求めてるんじゃないのか。

今や自分の眼に入れる情報の種類さえ自分で選べる。でも生身だから現実だからいくら虚構を生きようとしても時に傷が痛む過去を引きずりだされてエラーが起きる。

怒りの底にはいつも哀しみが横たわっている気がした。