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愛は可愛くない

誰のためにもならない感情は、何のためにあるの?

http://togetter.com/li/855154

ttp://a2oo879k.hatenablog.jp/entry/2014/08/26/135501

ttp://chilo531yt.hateblo.jp/entry/2014/10/27/155812

根本さんのことも土屋さんのことも二人の関係の真偽さえもどうでもよく、ただただ土屋さんヲタの感情に胸がずきずき痛んだ。
彼女達のこと、みんな笑うだろうか。たかが芸能人、自分と違うコミュニティを生きる人間にそんなに入れ込むなんて馬鹿だねって言われちゃうんだろうか。
「好きな芸能人を応援する」芸能人やアイドルを好きになるってことは、ほんとに趣味なんだろうか。時々思う。
おそろいの洋服を着ていることに気づいた時の気持ち、ツイッターで一番最初にフォローした人が誰なのか辿った時、シンクロしたブログやツイートの内容にそれが邪推なのかどうなのか悩む時。それってほんとに娯楽で趣味な時間なんだろうか。

インタビューを読んだとき
http://subpokke.net/archives/1990

根本: 私もすごい知ってる人以外、家に来るの嫌です。侵入してほしくない。恋話とかは、アイドルだから言えることは限られると思うけど、好きなタイプは?
土屋: 根本さんですかね。ここは、(イケボ)ってしておいて欲しいです(笑)こういう取材とかで、取材相手を言っておくのが鉄板っていうのがあって(笑)
根本: 悲しい(笑) 
土屋: でも、この前の舞台で出てくる女の人はみんな酷く描かれていて、嫌ですね(笑)あの中では、根本さんが演じた根本さん役がいいですよね。

ってくだり読んだ瞬間胸がずきっとしたし、推しに恋人がいるのでは、と疑惑が深まっていくことにつらくなりながらも詮索をやめられない、でもその過程で傷ついたその感情は推しのためどころか自分のためにも誰のためにもならない。
推しの望む形でわざと盲目になって好きでいるのもたぶん愛だし、受け入れられないものは受け入れられない、でも好きだ、の感情の狭間で苦しむのもきっと愛だし、受け入れられないからもう好きのままでいられない、ってジャッジを下すのも、好きでいた時間を嘘にしないための愛の形だきっと。
ああ、愛って、愛って、なんなんだ。みんなが言うほど本当にいいものなのか?それは狂気や執着とあまりにも近すぎる。愛は可愛くない。
でもそれなくして人は健やかには生きていけないって、それって、どういうことだ。

 

考える過程で私は、ヤリチンを好きになってしまったがために、相手と釣り合うために処女を捨ててしまった、どこにも存在しない私の空想の世界に住む女の子の気持ちを突然理解してしまった。
肯定できないことを、綺麗なところから糾弾するのは嫌だとおもったんだね、それは子どものすることだとおもったんだ。相手を糾弾する感情は愛じゃないとおもったから、相手と同じところまで降りていくために対等になるための最も誠実な手段として選んだのがたぶんそれだったんだ。そのために、かえって相手から「不実だ」と忌み嫌われてしまったとしても。
人が大人になることを望んで大人になっていく瞬間ってそういう時なのかもしれない。相手と対等になるために同じ場所へ降りていくこと。許すために。自分が自分であるせいで好きな人を糾弾し続けなければいけないのが嫌だから。
そういう人達にとってはきっと、精神の純潔なんて、邪魔なだけなのかもしれない。


人を愛することその相手は絶対に自分とは別人でなければならないのに、価値観の不一致や、相手の気持ちが自分の気持ちのようにはわからないこと、つまり自分と別人であるがために苦しまなければならないということは、ああ、人間はなんて自己矛盾を抱えてしまったんだろうとおもいます。