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「女装と思想 Vol.1+2+3」と、私と女装と女性について

女装と思想
Vol.1+2+3

という同人誌を読みました。

 

「男の娘」って、BLとかと同様に女の子の視線や願望の産物なのかなあと長らく思っていたけれど、そうじゃなかったんだとこれを読んで知りました。「女装」「男の娘」を文化として捉えた時、なんとなく女性に近しいところにあるもののような気がしていたけれど、男の娘や女装文化は極めて女性不在の文化だったんだ。

目次見てたら、大学の頃授業取ってたアミッドPこと青木先生のお名前ものっててビックリ…
ボカロヲタ以前の青木先生を知りました。ツイッターで先生の女装写真を見たことはあったんだけれど。
むしろミクヲタで始まったことをきっかけに女装から離れたということを伺ってなんかなんでかすごい納得でした。

男の娘についての文を読んでると、昔学校へ行こう!でコーナー組まれてた「オトメン」をおもいだした。女性を装ってるわけじゃないけどナチュラルにガーリーな男の子達。

 

そして「女装」といえば熊本出身の私が真っ先に思い浮かぶのが、ばってん荒川
90年代を熊本で過ごした私は、学校から帰って夕方テレビをつけてよく「テレビタミン」という熊本ローカルの情報番組を見ていた。そこにレギュラーで出演していたのがばってん荒川だった。「性自認は男だけれど、女性の格好をしてテレビに出ているばってん荒川(ギャンブル好き)」というのは改めて説明されるまでもなく熊本県民には周知の事実で、別に女装の理由やなぜ女装の人が夕方の情報番組に出演しているのかなど敢えて説明されるまでもなく、当たり前に熊本のお茶の間にはばってん荒川がいた。
最近大森靖子さんのリリイベでPOPPYさん(@poppy_cute_sexy )と、「90年代に、なんのキャプションもなく女装姿の男性が普通に夕方の情報番組に出ていたっていうのはよく考えるとすごい先進的なことだったのは?」ということと、それが成し得たのは、ばってん荒川という存在が芸能として完成していたからだったのでは?というようなことを話していた。


その後中学生になった私は嶽本野ばらさんの著書をよく読むようになった。嶽本さんは自らもロリータ服を着用しているという記述がたびたびエッセイで出てきた。たしかにプリーツスカートだって男性の制服になってるしセーラー服は男性の水兵だって着るんだし、男性が異性装としてではなく自分が着たい服としてスカートやロリータを選んで何が悪いんだ、という知見をそこで得たのだった。

話が逸れた。
男の娘や女装とは何か?を問うために必然的に「男とは?」「女とは?」というジェンダーにまつわる話がなされていて、「女装」「男の娘」という軸を元に語られるそれらの話も面白かった。
男装と女装を必ずしも同列には語れないのは、女性が社会から受ける抑圧と男性が社会から受ける抑圧の種類が違うからだろうとおもった。
だからだろうか、それぞれが女装をする理由を読んでも私には「推し量る」の域を出ることができなかった。
ただ唯一「あ、わかる。」と思ったのが、くとのさんだった。

女性が(というか、女性性に嫌気がさした休日の日の私が)女性性から離れるために取る手段は、徹底して装わないことだ。メイクしないでスカートじゃなくてズボンを履いて、身体のラインが出ないようなダボダボのパーカーを着る。厳密にはそれで何かから逃れられるわけじゃないけど、その姿で近所を散歩してコンビニでアイス買って帰るだけで、なんだか少しいつもより自由になれたような、ほっとするのだ。
女性は装わなければならないとされている性だから、それに疲れてしまうことが以前は時々あった。

だから、男性が男性性から離れようとするならその逆を行う、つまり見た目を装う方にシフトするっていうのは、なんだか気持ちがわかる気がしたのだ。


以前自分の女性性がすごく嫌だったのは、自分のアイデンティティを性別の二元論で回収されるのが嫌で嫌で仕方がなかったからだ。
その気持ちがゼロになったわけじゃないけど、でも前より自分の女性性が嫌じゃなくなったのは、全然好きになれなかった自分の性別や顔身体も「おっさんの俺がある日眼が覚めたら女になっていて…」というシチュエーションで与えられたのが自分のこの顔身体だったとすると、別に十分すぎるほど十分すぎる素材なんじゃないかこれは?とおもいはじめて、じゃあ女の皮を使って化粧でもファッションでも楽しもう、という気持ちが芽生えてきたからだった。
つまりずっと主観の一部だった自分の顔や身体が、最近になって急に客体化されてきたのだ。だからそれを使って遊んでみようという気持ちも芽生えた。
同じ女でも、女の自分を主体として扱っているか、客体として扱っているかということで生まれる差は大きい気がする。
同じメイクをして同じワンピース着ていたとしても、前者は女だし、後者は女装だ。

だから私ももしかしたら女装家として女性としての自分の身体を取り扱っているのかもしれない。