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自分への圧倒的無関心とほんの少しの関心が可視化される場所。―コミティア114に参加して

「自分に興味がない人の視線が見える」が、インターネットと生身の人間が集うイベントの最大の違いだとおもう。ネットでの「興味がない」は、無だから見えない。前も言ったなこれ。
いかに多くの人間が私の作ったものと私に興味がないかが可視化されるイベント、同人誌即売会
事情があり一般開場直後に会場外へ出たら、一般入場者の長蛇の列、階段を上って二階、西ホールへ繋がる通路まで、ほんとに長い長い行列が出来ていて、驚いた。すでに中にいるサークル参加者を含んだらもっとたくさんの人がこの会場に集っていることになる。
だけどここにいる9割9分9厘以上が私の本を手にすることはおろか名前すら知らない。あらためて言うまでもない当たり前。
机の上を一瞥され、あるいは視線さえ向けられることなく素通りされて当たり前。表紙に惹かれた様子で中を見て、「ああ、文章だけね。」と言いたげに何も読まずに0.1秒で閉じて去られて当たり前。カタログ見ても、扱いが大きいのはイラストや漫画を描く人だし、壁サークル見ても絵や漫画やグッズを作ってるサークルがほとんどだし、「文章だから」って、売れない言い訳にしちゃダメなのはわかってるけど。
それでも圧倒的無関心の中で何時間も硬いパイプ椅子に座り続ける苦行、新刊を出すごとに重さを増していく在庫の本。もうこれで最後にしようかな、と諦めの気持ちでぼんやり通路を通り過ぎる人を眺めていると、ふと足を止めて買ってくれる人がいる。知り合いや友達がわざわざブースを探して来てくれる。
「今日来たいとおもってスケジュールあけてたんです。」
と言ってくれたひともいた。貴重な休日を使って、やたら乗車賃の高いりんかい線ゆりかもめに乗って、カタログ代に1000円払ってまで。
思い出してみればイベント前から「コミティア行きます」とか「文フリ行きます」とか声かけてくれた人もいた。売り子しましょうかとPOPPYさんが名乗り上げてくれた。
あのすごい数のサークルから私の本を見つけてくれたこと、家から私の本を買うに至るまでにかかる労力。その稀有さと有難さにいつまでたっても慣れる気がしない。


わたしが超美人で写真集を作れたら、私が超絵が上手くて漫画や画集を作れたら、私自身が超人気者だったら、って目の前を通り過ぎていく人の数だけおもったけど、でも私は無才で無能な人間に最後に残された手段「言葉」を使って自分や誰かに良く作用するためのことをやるし、それを面白そうだと思ってもらうための方法も考え続ける。

絵が描けない音楽が作れない手先が不器用字が下手で人より秀でた才能どころか人並み以上の職能さえ持たない私(達)が識字率99%のこの国で厚顔無恥に一人前ぶる方法文学。言葉を書くなんて誰にでもできることでアーティスト気取れて良かったね!
http://arikana.hatenablog.com/entry/20141031/1414757733


春のイベントは、ちょっとでもやりたいことやった方がいいとおもうことを全部やるわがままで、秋のイベントは、ほんとにやりたいことだけやるべきだとおもったことだけしかやらないわがままで出展するのが常だけど、その繰り返しの中で、どんなことをほんとにやった方がいいのか、やってもさほど意味がないのはどんなことなのかが段々わかってきた。
まだイベント出展で試してみたいこともあるしやってみたいこともあるから、それがゼロになっちゃうまでは、出展するイベント数の増減はあっても毎年出たいなとおもう。

 

 


新刊「東京行ったことないとこ探訪記」や各種既刊、11/23の文学フリマ東京への出展(オ13)、よろしくお願いします。
http://arikana.hatenablog.com/entry/2015/10/10/134012