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最近思ったことと、「武道館」(朝井リョウ著)について

確かに人には自分で選べることと選べないことがあり、生まれてきた環境によって選べることの幅は変わる、その意味で全く平等ではないけれど、だけれどそうはいっても、選択する自由が生まれてから死ぬまで一度もないなんてこともまたあり得ない。だから自分に与えられただけの選ぶ自由を、最大限行使しようとすることが人として生きることの肝なんじゃないか、最近ふとそうおもった。


朝井リョウさんの「武道館」を読了した。
私もみんなも怒っているから怒っているのか、怒ってもいい正当な理由を手に入れたから怒っているのか、どっちなのかよくわからなくなる時がある。それってすごく怖いことだ。
「みんなのために自分は自分を犠牲にして我慢するのだからお前も自分を犠牲にして我慢しろ。」
暗黙の脅迫のし合いの上に成り立つ平和なんて本当は全然平和なんかじゃなくて、ただみんなどんどん苦しくなっていくだけだ。
それをわかっていたからあの時愛子はあおいに怒る正当な理由と言葉を持っていたのにも関わらず、その言葉の束を振り落とした。
「とりあえず言うだけ言ってみればいいじゃん」
という現在この時代だけど、私は愛子や誰かが飲み込んだ言葉を、飲み込んだその事実を、ずっと見つめていたいとおもった。

 

メディアを通して本人からは決して語られることのない、だからヲタクが決して直接聞くことのないはずの、アイドルの主観と人生。それが可視化されているから「武道館」はフィクションなのだ、私はそう理解していた。
でも昨日、原宿のマリーエンケーファーの展示を見た帰りに読了が近づいた「武道館」を携えて喫茶店によると、隣の二人組の女の子達が、アイドルがよく公演している箱の名前や「定期公演」「告知ツイートは誰も反応してくれないから寂しい」
と話していた。アイドルだった。
アイドルというより今時の女子高生っぽい、荒くて雑な口調で、
次作の歌詞を読み上げて「また重いね。笑」
と笑ったり、いつもマスクしているイケメン風のオタクの名前を出して
「なんか近くで見ると、あ、ほんとはこんな顔なんだ…っておもった。」
と話したり、
「次の定期公演、客20人どうやってかき集めたらいいんだろ~」とか、
ツイッター見たくない時がある」
「わかる」
「プロフィールツイートをRTしてくれたヲタクにはフォローしますとかやらなければよかった。」
とためいきをついたりしていた。
私が知るはずのないアイドルの主観が語られているから「武道館」はフィクションだと信じていたのに、現実の喫茶店で、アイドルがヲタクに聞かれるべきでない主観が本人達から直接だだもれていて、それを聞いている私がいて、何が現実で何が虚構なのかよくわからなくなってしまった。
今年は、私が現実だと信じていることの壁と虚構だと信じていることの壁が融解する場面が何度もあった。
私が生きているこの世界は17歳の私がおもっていたよりももっと広く深遠で、奇奇怪怪な場所だった。