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現実からイメージまでの距離

その皮一枚下にある「どう見られたいか」の色やにおいの方があまりにも濃すぎるから、なにもかもかき消してしまって、もはやそれが実際どう見えるのか?がわからなくなってしまう。誰かのfacebooktwitterInstagramに連ねられた言葉や写真
「私はおしゃれだ」
「私はしあわせだ」
「私はセンスがある」
「私は仕事ができる」
「私はまわりの人間から愛されている」
笑顔で蹴り殺しあおう。事実がどうか実際の気持ちがどうだったかなんかどうでもいい、誰かがそう思い込んでくれたならそれが真実になる。


日々谷のクリスマスマーケット、インスタグラマーは美しい写真をスマートな文章を添えてアップして、現地では仲間内で楽しい美味しいと言い聞かせ、メニューは美麗な食べ物の写真、場所相応な値段。
でも、分厚くてレアな牛かつの写真、大きく切られ厚く盛られたローストビーフのメニューの写真、お値段1200円も相応に見えた。でも買って紙皿の上にもられていたのは、とても生には見えない薄い薄い牛肉に厚い衣、600円でも高いだろう。
ローストビーフも見た目は真っ茶色で、サミットの398円のローストビーフの方がまだましだった。加工機能をどんなに駆使しても、あの実物をメニューの写真のように見せるのはインスタグラムじゃ無理だ。

探せば値段相応なおいしいお店もあったのかもしれないけれど、なんだかその瞬間、私達が食べたお店のメニューと実物の落差が、この「ネット上のクリスマスマーケット」と「実際のクリスマスマーケット」の落差そのものに思えてしまった。
綺麗な写真やお洒落な言葉で埋め尽くされたバーチャルのクリスマスマーケット。実際は寒くて、人で溢れ返っていて、食べ物は写真詐欺で、ホットワインはすぐぬるくなる。
それでも、仲間内で集まれること自体が楽しくてそこにいるならいいと思うけれど、ほんとに楽しそうな人ってあの中にいたっけなあ。
「寒いしまずいし人ごみすごいしもう帰ろう、それか鳥貴族行こう」
って誰も言いだせないからそこにいつづけてるだけなんだとしたらかなしい。
楽しいことにしなきゃいけなくておいしいことにしなきゃいけなくて、おしゃれなことにしなくちゃいけないからそうしてるだけなのだとしたら。


誰も楽しい気持ちにならない見栄なんか意味なくない?澄ました顔しないでおしゃれも携帯もほっぽって、はやく近所の飲み屋に帰ってひどい写真詐欺だったねって一緒に笑い飛ばそうよ。