回復

インフルエンザ前夜。
寒いけど、毛布と布団適当にかけていいや暖房付けっぱで。で寝て起きて喉がめちゃくちゃ痛くて気付いた。
ああ、全然身体の声に耳を澄ませていなかった、と。
多少雑に扱ってもきちんと動いてくれてしまう私の身体よ。だから私にとって病気は、いつも静かな身体がその声を大きくするってことだ。鈍感になりがちな私の意識にまで届くように。
溜めこんだ毒や悪意が熱や痛みや排泄物に変わって排出されていく様を私はただひたすらに見つめていた。
それは、体力だけじゃなくて心の体力みたいなものも消費するらしい。毒を吐きだし尽くし身体がすっかり良くなると、力を使い果たした私の心はすっかり滅入っていた。
そういう期間、添加物や毒気のある文章みたいなものにひどく過敏になる。恣意と悪意のない音楽、映像、文章、人が作ったご飯にしか触れる気が起きなくて、それはとても高校生の頃の自分を彷彿した。そんな状態で、悪意も毒気も自意識も剥き出しな十代が集まる高校に通うのはさぞかし辛かっただろうと人ごとのように思った。
弱った心で、憂鬱ににごった眼で、それでも見たい物を触れたい物を読みたい物をなんとか辿った。
秋葉原で牛カツ食べて、シャッツキステに寄って暖かい紅茶を飲んで優しいメイドさんと言葉を交わして、帰り道空いた電車で好きな本を読み返しているとふと、カツン、と心にビー玉が落ちたみたいな音がした。
自分が愛しているならそれでいいじゃないか。日々自分を使い切って、自分の声に耳を澄ませて丁寧に暮らして、自分の心が頷くものを大切にして、そんな風に暮らしていればきっと何も悪い風にはならないと思った。
自分に問いかけた答えがすぐには出なかったとしても、問い続けていれば必ず答えが聞こえる日が来るだろうと信じることが出来た。
大丈夫と大丈夫じゃないがあったら、ぎりぎりまで大丈夫を取り続けられる自分でありたい。
5歳の子どもはきっと全てを持っている。大人になり老いて死ぬってことは、その手の隙間から少しずつ何かがこぼれ落ち続けて行くってことだ。だけど確かに今日私は、何か一つ取り戻すことができたと、そう思った。