宇多田ヒカルしか聴けない気持ちの日

気が塞いで塞いで、もう心が受け付けない状態の時って、読み物も音楽も受け付ける範囲がとても狭くなる。病気の時に揚げ物とか味が濃いものが食べられなくなるように。

そういう気持ちの時に聴く音楽が宇多田ヒカルだ。選ぶというより、それしか選べないという気持ちで。

 

今週も4日からずっとそんな気持ちで、そんな私がずっと聴いていたのが宇多田ヒカルだった。

 

「光」、歌詞とかあんまり気にしてなかった頃からずっと好きな曲だけど、近年この曲の一節がとても私に刺さる。

 

君という光が私を見つける

真夜中に

 

自分の何かと分かち合える音楽に出会えた時、この場で誰にも存在を認識されていないと思っていた頃、視線を合わせて笑って名前を呼んでくれた女の子に出会った時

 

それはだって私が見つけたんじゃない。世界に埋没している私を見つけてくれたという感覚を、過不足なく表現した一節だった。

日本中から見つかっている宇多田ヒカルがその気持ちを知っていた。

 

そんなわたしは最近点と線がとても欲しい

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ここで書籍化されたからなのか大人の事情なのか、何なのか、彼女のブログのほとんどはweb上にない。

現存するのはここにある数記事だけ

www.utadahikaru.jp

 

ネットってやっぱ負のバイアスがかかりがちだから、心が疲れている時はツイッターもあんまり開けない。なんていうか、オンライン、即時性、コミュニティ、そういうのを受け付けなくなる。それなのにネットの文章しか読めない環境で、この彼女の書く言葉のフラットさに私はとても救われた。

 

私は10代の頃、天才的な音楽の才能を持つ彼女が、しかし自身のキャラクターや綴る言葉がとても普通なことに勝手に幻滅して、彼女の書く文章や音楽以外の部分を受け付けなかった。でも彼女の立ち位置で、これだけフラットでいられることの凄さ非凡さが今ならやっとわかる。

 

日本の湿度、平凡な日常に恒久的に流れる孤独と哀しみに寄り添う音楽。

彼女がJPOPの世界で戦うと決めてくれたことに、私は彼女の音楽しか聴けないぐらい追い詰められた気持ちになるたび救われている。

 

 

 

 

追記

以下は宇多田ヒカルにまつわる記事をネットで色々見て回っていた時にとても印象的だった記事です。

blog.goo.ne.jp

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