読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

自分の内に棲む他者についての話

辞めてしまった同僚と当時話していたことで、今でもふと思い出す会話がある。

「どこまでだったら一人で行けるか?」という話題で、
私は、「牛丼屋、ファミレスぐらいなら平気。カウンター席があるだとか、女一人で来ても別にいいと店側が思っていそうな場所だったら大体どこでも行ける。」
というと、彼女はどちらも無理だと言った。何故かと聞くと
「私自身が、そういうとこに一人で来ている人に対して『寂しい人間だな』と思ってしまっているから。」
と答えた。
「『他人に』寂しい人間だなと思われるのが嫌だから」ではなくて。

 

多くの人に通ずる真理が、彼女の言葉には内包されているように思った。
それは、人が本当に恐れているのは、他人からの評価ではなく「自らの内にある他者性」からの評価なのかもしれないということだ。
なぜなら自尊心は、自らの内にある他者性が自分を認めた時に初めて持てるものだからだ。
この内面の他者性も当然本人の人格の一部であるが、主観的な感情や思考よりも、親、家族、友人、学校、世間等々、よりその人間が育ってきた環境に影響を受ける。


主観の自分と内面の他者性があまりにもかけ離れていると、自分が引き裂かれそうな感覚に陥る。どちらに従っても自尊心が得られない。「わたしは○○したい。でも○○するわたしをわたしは嫌いだ」と。
だから自分の内面に向き合うことに飽きた大人こそ本当は、自分の内面に棲む他者がどんな人間か、誰から影響を受けている人格なのか理解して和解して自分の主観との距離を縮めないと、永遠につらいままだ。

 

自分を愛情深く見守る他者を自分の内面に棲まわせることができた時、初めて人は自分の思うままに生きられるのかもしれない、とおもう。