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ズートピアを見た。ディズニーの愛情と贖罪

豊島園にズートピアを見に行った。
冒頭5分、ジュディが警察学校で不利にめげずに過酷なトレーニングを乗り越えていく描写ですでに泣く、就職のため両親と別れる時に両親を抱き締める描写で泣く、新居へ向かう一人きりの列車で、自分を鼓舞する音楽をイヤホンで聴く描写で泣く、、大人になると涙腺が脆くなるって本当だった……。

「子どもの頃から警察官になりたかった。夢を叶えるまでのストーリー」
じゃない、ズートピアはあくまでも夢を叶えた「その後」の物語。
夢を叶えた後が本当のはじまり。理想と現実、どうやって折り合いをつけていくの?


本編では足元しか出て来ないジュディの学校時代の教官だけど、あの人が誠実な教育者でなければこの映画の物語はこの物語足り得なかったってくらい、実はものすごく根幹なような気がする。
あの教官があらゆる意味でジュディを差別しなかったからジュディは理想を失わないまま警官になることが出来たんだろうし、学校で培われた、他の大型動物に引けを取らないための身体能力の高さ、自分の能力に対する自信、「落ちたら死ぬぞ!」という徹底した教育は物語の随所で確かに生きている。
あの教官も、ジュディが卒業後数えきれないほどの理不尽に直面すること、不利な状況に陥ることはどこまでも想定して、それでもこの教育課程を乗り越えたジュディは警官になる資格があると、卒業させて学校から現場に送り出したこと、とかに思いを馳せてしまった。

正しい教育は、理不尽と差別に呑みこまれないまま、自分の理想を追求する力をその人に与えるということなのかもしれない。


どんな立場の人間(作中では動物だけど)も、状況によっては加害者にも被害者にもなり得る。どんな立場の人も、その立ち場特有に持たれるイメージや差別がある、ということを丁寧に描いていた。

アナ雪の有名な一節を揶揄に使いながら、「理想を掲げるだけでそれが叶うなんてありえない」というようなことを、ジュディの上司は言っていた。
でもこの物語は、ポップスターのガゼルがズートピアの街の理想を語る場面を起点に転換していく。ジュディが、現実に打ち負かされず理想を捨てなかったから、一番近くにいたニックを変えて、世界をも変えて行く。
現実は全然理想通りじゃない。ポップカルチャーの語る綺麗事なんかどこにもない。差別と理不尽と汚いことに溢れている。それでも、それでも、理想を捨てないこと。それから、理想を実現するに足る実力を持つことで何かを必ず変えられる。ということを強く信じている物語だった。


というような話を全部捨て置いても、ニックとジュディへのカップリング萌えだけでも最高に楽しめる映画よズートピア…。ディズニーで一番好きなコンビかもしれない…。

 

 

シュガーラッシュ→アナと雪の女王→ベイマックス→ズートピア
と見たけど、なんかここ数年のディズニーアニメ映画からすごく、もう絶対に誰も取りこぼされたような気持ちにさせないという決意みたいなものを感じる。
今までディズニーで悪役を演じてきたキャラクター、スポットライトの当たることのないキャラクター、そして彼ら彼女らにこそ感情移入してしまっていた観客達への愛情、あるいは贖罪のような。