最初の瞬間は、たったひとりが誰かを本当に救いたかっただけなのかもしれないけど

なんか私の界隈研究みたいな趣味って、宗教研究とか企業研究に近いものがある気がしてきた。
私は無宗教状態に近い仏教徒だけれど、敬虔な信者でない人間も、というか、社会で生きる限り宗教的なもの はいつだって隣り合わせであることを知っている。
キリスト教系の幼稚園に通っていたことが、たぶん私の最初の思想や道徳心の原型になっている。だから、宗教があらゆる人間に対して、隣り合わせであることを知っている。

だって会社も、家庭も、音楽も、芸術も、宗教のすぐそばにあるものだ。どうあがいても。

浜崎さんガチヲタ時代、また16歳~22歳の期間に、血まみれになりながら自分に強制した、俯瞰しろ冷静であれ真実であれ という強迫観念から自由になった今でも、やっぱり自然にそういう位置にいようとする自分がいて、その浮き輪につかまりながら、知るために私は自分の半身を沼に沈ませるようなところがある。高みの見物じゃわからないことやほんとの気持ちが一杯あるから。
それがなんなんだ、なんの意味があると言われたら全然答えられないけど、でも必ずいつか意味を持つ時が来るだろう
という、確信めいたものだけある。

 

小さいアイドルが、売れっ子になって初期のファンが離れて行く

ということは、新興宗教でも同様の現象があるんだろうな。

政治と策略と権威に溺れ、集団ヒステリー状態に陥ってしまった教団も、最初の本当に最初の瞬間は、たったひとりが誰かを本当に救いたかっただけなのかもしれない、社会の致命的な欠陥を埋める、誰も取りこぼさない悲しませない仕組みをつくりたかっただけなのかもしれない。

でも、団体が大きくなればなるほど、歴が長くなればなるほど、初期衝動は薄れどんどんおかしくなっていく。

もう、アイドルでも会社でもなんでも、あまりにもどこででも聞く話すぎる話だ。

ありきたりな話だけど、でもそのひとつひとつに対して悲しく思うよ。