読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

どんなに賢明ぶってもそれ以外は全部フィクション。

朝、ほとんど思考が窒息している状態で満員電車に乗る。

混濁した意識に、近くにいる女子大生の話が流れ込む

「カットモデル」

「先輩にインスタフォローされた」

「被写体の依頼をされて」

「LINE交換できてたかもしれないのに」

在学中からそれに辟易して引きこもってしまったきらいもあるけど、大学生の自意識って強烈だったなそういえば…

とおもいだすと同時に、もうその世界観とか話されている単語がフィクション、ファンタジーにしか聞こえなかった。

私が大学生の頃もあったのに。

 

昼休み、オリジンに言ったら外国人の女性に

「Fish?」

魚のお惣菜はどれ?

と聞かれているのを理解して、

「Fish!」

あんこうのフライを指した。

「あ、あとこれも」

ともう一ついかとあじの和惣菜みたいなのも指さすと

「Also fish?」

と聴き直されて、

ああ、そういえばいいのね!と学んだ。

アルファベットだけで会話する世界を、私は知らない。

 

オリジンの袋をさげて、反対側の手に財布を抱えて事務所へ歩いて戻る帰り道、ああ、人間は、驚くほど今現在自分が身を置いている環境で自分がやっていることしか現実としてとらえられないんだ、と思い知った。

どんなに賢明ぶってもそれ以外は全部フィクション、ファンタジー。

だって大人はみんな子どもだったことがあるはずなのに、都市は驚くほど子どもが存在しないことを前提につくられている。外のお手洗いも、駅も、なにもかも。

自動販売機の上の段が押せないもどかしさ、町の何もかもが自分を対象に作られていない疎外感、大人になるとみんなどうでもよくなっちゃうのね。

だから伝わらないのなんて当たり前、言いたい意図を取り違えられて当たり前、そう思えるまでどれだけかかった。ううん、本当は今でもどこかで「必ず伝わるはずだ」信じようとしてしまっている。そのためにこの先何回伝わらなかった、と失望するんだろう。

でも勘違いかもしれないけど、「今、伝わった」そう思ってしまう瞬間がどうしてもあって、そういう瞬間を信じて、今日も伝えようとする意志が潰えない。