君という光が私を見つける

あきらかに他の女の子と違う様子で、お客さんに話しかけるよりはお皿洗いとか料理を運ぶとか、ひとを避けていて、でもそれでも自分を好きだと表明するお客さんには精一杯心を尽くそうとしていて

「売れて遠くに行けたならきっと、今聴こえているノイズも聞こえずにすむ日が来るはずだから」

私はその頃何度となくそう伝えたけど、グループ所属する最後の最後まで、そうじゃなかった。聞こえる音に耳を傾け続けるひとだった。変わっていなかった。私が間違っていた。

「なんで同じ子が好きだという理由で、仲良くなった方がいいんですか」

と、当時の私は仲良くしてくれようとしたひとに割と素で聞いてたようなひとだったので、だから当たり前にいつもひとりだったんですが、でももがちゃんはそんな私の存在すら見落とさなかった。

 

時が過ぎて、セカオワのSaoriさんがもがちゃんのブログやSNSにたびたび登場してた頃、もがちゃんが活動を続けていくでずっともってる根源的な孤独や苦しみは、ファンの立場にいる人間には誰にも救えない、という事実がどうしようもなく苦しくなってしまった。

つらくとも、汚い自分を押し殺したりあるいは表出してしまったりしてでも、好きで居続けることの方が本当はヲタクとしては正しい。

でも「あなたがいるから楽しい」と言い切れなくなってしまったらもう応援するべきじゃない、こんなに私は好きで応援してるのにどうして、といつか責めてしまいそうだから、という正しさの方が私の中で勝ってしまった。

普通のツイートも何百何千とリツイートされてしまうようになったもがちゃんのSNSの更新頻度は当たり前に下がり、どんどん気持ちが見えなくなってしまった。

 

でもふと更新される、長いブログを読んではその真摯さに、ああ、あの頃と心はなんにも変わらないんだなあ、でもどんどん強くなってくし大人になってく

っておもってて。

 

それでも、度重なる体調不良、時々耐えかねたようにつぶやかれる心情の吐露、他メンバーに矛先が向かいかねない不穏な言葉

 

向いてるか向いてないかで言えば、全然向いてない。

本人もみんなもわかってるのに、ギリギリでいつも踏みとどまってる。

向いてなくても、真摯にやる。お仕事だから、生きていくために。

向いてなくても、それでもやればやっていくだけ培われていくものがある。

向いてなくても、真摯にやればそのことを必ず見てて分かってくれるひとがいる。

 

そんな姿が、見てるひとの勇気に変わる、そんなアイドル私は今まで知らなかった。

 

ほんとにギリギリだったんだと思う。

だから、これだけギリギリのところで踏みとどまり続けたもがちゃんが8/6に脱退しましたというのなら、もうそれは8/6脱退しか無理だったんだろうなとおもう。それ以上待つ、耐える、我慢するという選択はもうどうしてもありえなかったんだとおもう。水中で息止めてる人が苦しくて顔上げようとした時「まだ顔を上げるな、息を吸うな、我慢しろ」とは絶対言えないじゃん。私にとって今回のもがちゃんの脱退ってそういうかんじ。

 

 もうほんとに、十分、十分すぎるほど、がんばったと思う。

ファッション雑誌の表紙を務めて、リキッドルーム、武道館、代々木第一体育館でライブして、地上波に出て、見せて欲しいもの全部見せてもらったとおもう。

だから私は、アイドルグループを卒業したもがちゃんがこれからどんな景色をつくっていくのか、たのしみ。でも私のそんな気持ちよりなにより、もがちゃんがしあわせに、たのしく生きてくれたらそれが一番うれしい。

 

私は最初から最後まで良いヲタクにはなれなかったけど、他の誰よりアイドルに向いてないあなたが私にとっての最高の推しで、最高のアイドルだった。