私の正常は誰かの異常。

士農工商えたひにんを小学校だか中学校だかで学んだ時に、

「政治家が『この地域に住んでる人達のことは差別していい』と認めて、大衆が素直にそれを真に受けるなんてことほんとにあるのか?住んでいる地域や職業で人を好きになったり嫌いになったりしないだろう普通」

と思っていたけど、インターネットによって可視化されてしまった、

差別していい奴と認定された人間のことはどれだけ侮蔑しても嘲笑しても構わない

と思っている人間が本当にたくさんたくさんいるんだということ。

子どもの頃全然実感がわかなかった「えたひにん」が、今になって完全な現実みを帯びていることに気づいてぞっとする。

でもそれでも私はえたひにんを最初に知った子どもの自分の「『この地域に住んでる人達のことは差別していい』と誰かが認めたら、大衆が素直にそれを真に受けるなんてそんな馬鹿げたことほんとにあるのか?」

と思ったその感性はびっくりするほど正常だと思う。

 

子どもが生まれるのはいつだって親のエゴ

ということにあまりにも無自覚な人達の方が私は大概異常だなあと思ってしまうけれど、でもたぶんどこの井戸端会議ででも、そんなことを口にしたら異常者扱いされるのは私の方だろう。

 

高校の頃保健室に貼られた大判のポスターには、毛染めが原因で頭皮がただれてしまった画像があって、先月はマスカラやビューラーで目が炎症を起こしている画像で、先々月はファンデーションでうんたらかんたら

「これはもう、化粧品のリスクを説明したいんじゃなくて、『中高生に化粧させたくない』という結論ありきでグロ画像で子どもを脅したいだけでしょう」

というようなことを言ったら

「ずいぶんひねくれた物の見方をするね」

と同級生に言われたことがある

 

子どものころ「どう考えても私の方がまともだろうが」

と思ったこと全部、今でも全部そう思う。

 

でも、私がまともなことを言っていたとして、その場にいる全員が私を異常と呼んだら事実がどうあれ私はその場においては異常だってこと

 

と気づいた時には人の評価なんて無意味だな、と人にまつわる色々なことを放棄した。

どれだけ時間が経ってもやっぱり結局本当のことしかいらないな。

 キャッチ―な楽しい嘘が一杯あってそれはそれで好きだけど、でも結局最後の最後は本当のことでしか誰も救われないとどうしても思ってしまう。