お屋敷における私の立ち位置がどんなものかを説明しなきゃと思い立ったブログ

最近お屋敷の日記結構書いているから、スワロウテイルのお嬢様が私のブログをご覧になる機会もあるのかもしれないと思うと、なんか急に自己紹介というか私の立ち位置みたいなものを説明しとかなきゃみたいな気持ちにかられたので、この記事を書く次第なのですが。

 

私のブログをご覧になったひとはもうわかってしまっているとおもうんですが、私はたぶんお屋敷での当事者意識を欠いていて…、元々は、ていうか今もですが、女性アイドル、女性アーティスト、女の子がキャストとして働くコンカフェなど、基本的に女の子、女性にお金を使うタイプのおたくです。

 

そして私自身はその意識を欠いてしまっているけれど、「スワロウテイルのお嬢様・おぼっちゃま」にアイデンティティを持っているひとが心底可愛い、美しいと思っていて…

というのも例えばお屋敷に帰るためにおしゃれしよう!とおもうその心がまず可愛い。好きなフットマンに会うためにとか、好きな場所に行くために襟を正そうとする姿がすでに美しい。

あと私の可視範囲の話ですがお嬢様活動って結構個人戦じゃないですか?そこも潔くて好きだし…。

個々に理想のお嬢様像みたいなものを持っていて、自分をそこまで押し上げて行こうとする美学、どうしてもそこに自分をあてはめられないと煩悶する時のゆらぎみたいなものも美しいし…、ロリータファッションの美学みたいなものに近しいものを感じます。

あとこれは本当に勝手に萌えてしまって申し訳ないのですが、あの、好きなフットマンがいるお嬢様とかめちゃくちゃ可愛くないですか…。

コンカフェキャストとお客様の恋愛は禁止という現実が、好きになればなるほど「お嬢様とフットマンの恋愛は身分違いだから許されない」

という物語にどんどん近づいてだんだん現実との境目を失っていくさまも美しいし…。キャストとお客さんが仲良くなるにつれ、お店のコンセプトがよくもわるくも形骸化していってしまうコンカフェが多い中で、どんなにお嬢様が常連になっても「お屋敷・フットマン・執事・お嬢様」というコンセプトをあの場所に集う全てのひとが尊重しているからこそ生まれる美しさがあるのだと思います。

あそこで働いていらっしゃるフットマンや執事の方にも、通っていらっしゃるお嬢様にもやっぱりみなさんそれぞれの美学があるじゃないですか。

そこに惹かれて私はあの場所にたびたび足を運んでしまっている気がします。紅茶もワインもスコーンもパスタも美味しいし。

 

だからたまに、私の帰宅時のブログを褒めていただける時があるんですけど、でも私の帰宅時の日記に語彙があるのだとしたら多分それは当事者意識を欠いているからというのが一因で、でもあの場に帰りたいと思う全ての人が可愛いし美しいし本物だから、そのために語彙を失っているのだとしたらその在り方の方がずっと美しいと思うんです。

いくら私がお嬢様を摸したところで私は贋物な窃視者でしかないという罪悪感があるので、でもだとしたらせめて、お屋敷に集う人達の美しさを侵さないままにその美しさを言葉にしたい、というのが私の帰宅誌な気がします。

 

思い込みだったら恥ずかしいんですけど、なんか、お嬢様に怖がられてたりしないかな…?と急に不安になったので説明したいブログでした。