殺そうとして殺しきれなかったそれを、私も「可愛い」と呼びたい

 

AV男優と付き合う、同棲、事実婚…。

もし自分がその立場だったらと毎日心がずたずたになってしまいそうだけど、どんな風に心のバランスを取っているのだろう…と思っていた時に更新された記事が下記だった。

 

恋人が多数の人とセックスしているという事実に対しての痛覚をなくす(なくそうと試みる)

ということなのかなあ、と、想像した。もちろん本来的にそれに関してはもともと痛覚がない、という人ももちろんいるだろうけど。

 

できるだけ苦痛なく生きるために本来的に辛かったこと、痛かったことへの痛覚をなくす、ということは別に恋人が性産業に従事していなくても、心あたりがあるんじゃないだろうか、主に仕事とか仕事とか仕事とかに関して。

ただ本来的にそれに関してはもともと痛覚がない、という場合を除いては、「痛覚をなくすことを解決策として用いるのは、本当にそれでよかったのか?」という葛藤や迷いがいつまでも消えないですわたしは

 

でも、自分の感覚を生かすことよりも大事なことがあるなと思ってしまう時だって一杯あるよな、例えば自分のある感覚を殺してでも一緒にいたい人がいるとか、自分の肉体を生きながらえさせるための手段がそれしか見つからなかった時とか。

私はでもただ誰にも、自分の痛覚を含めた全ての感覚を殺して欲しくない、殺させない、殺そうとして殺しきれなかったそれを、私も「可愛い」と呼びたい

 

 

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かわいいは正義に殴られた私が
いまにみてろと無理矢理つくった
このかわいいは剥がれない
絶対誰にも剥がせない