コンカフェは見ず知らずの私を人間として扱い、私に人間として生きて行く術を教えてくれた場所だった

なんかだいぶ前に、とあるコンカフェのお客さんが「◎◎って言うと、キャストさん達は◎◎してくれるよ!」って言ってたんですよね…。豆知識披露的なノリで。まるで「スタバの抹茶フラぺ、レジでオールミルクって言うとおいしくなるよ!」ぐらいのかんじで。

いやでもなんか私めちゃくちゃ時間経ってるのにいまだにその言葉を時々思い出してしまうぐらいには結構ショックで。

なんていうか、『あっ、この人はそのコンカフェのことは好きだけど、そのコンカフェのキャストさんひとりひとりを人間として扱っているわけじゃなかったのか…。」

的な。「◎◎って言ったら◎◎してくれるよ」ってなんていうかすごく、人間を自販機というかbotというかペッパーくんというかとして扱う行為じゃないですか…。

そういう、人間を人間として扱わなくなっていく世界から一瞬でも逸脱して人間に回帰したい人たちが行くとこがコンカフェだと勝手に私が思ってて、勝手にショック受けただけだけどさ…。

 

ツイッターで「最初に通ったコンカフェでのスタイルが、その後もその人のスタイルになる」みたいなこと読んで、ああ、わかるな~とおもって。

というのも私が初めてちゃんと通ったコンカフェが7年前ぐらいのディアステージなのですが、「誰かに楽しませてもらえるのを受け身で待つな、自分が楽しいと思うことを自分のスタイルで楽しめ」というDIY精神が強化された。なんかディアメンもディアガディアボもとかくそういう意識が強いし、色んな面白いイベントを色んな子が企画提案しているのがすごく楽しかった。

やっぱりディアステにほとんど行かなくなった今もその精神はずっと続いていて、どこにいてもそうだけど、特にコンカフェに行くと、ルールを侵さずだけど最大限マニュアルを逸脱してどうやったらオリジナルの楽しい一瞬を作れる?っていう意識が強くなる

マニュアルだけに終始する飲食店に行きたいならコンカフェじゃなくてよくない?っていう場所が私的なコンカフェの条件だから、余計にそういう意識が研ぎ澄まされるのかもしれない。

 

私はもしあらゆる芸術がなかったら、アイドルがいなかったら、コンカフェがなかったら、いまだに家の外にいる人達を1mmも信じることも愛することもできずに家から一歩も出れていなかっただろう人間なので…。

どうやったら自分だけじゃなくて相手にも楽しんでもらえるだろうとか、素性も本名も知らない人と一体どんな話をしたらいいだろう

とかいうことをもしかしたら本当に一生考えもしなかったかもしれない。

コンカフェは見ず知らずの私を人間として扱い、私に人間として生きて行く術を教えてくれた場所だったので

だからこそ、コンカフェで人間を人間として扱わないひとを見ると本当につらい気持ちになるなという、はなしでした