あなたがあなたとして生きていることを、私が私として生きていることを、祝福できたなら。

先日マリーエンケーファーで開催された、「天国にいちばん近いZINE」展に行ってきた。

 

 

うろ覚えだけど、数年前ゆっきゅんが何故ミスiDの候補者として選出されたのか、「美しかったから」だったという話を聞いた覚えがある。

すごくよくわかる。

 

私にとってゆっきゅんはひたすら美しく生きることができている人で、いつもなんだか見ていると少し心がずきずきしてしまう人だった。それはたぶんやっぱり自分が子どもの頃、子どもであるばかりに無力で、どうあがいたところで結局傷つけられて悲しい気持ちになるしかなかった、みたいなことがずっと一杯あって、そしてそれを大人になってもまだどこかでひきずっているからで…

 

だから私とは全然違う世界を生きているゆっきゅんから見える世界がどんな色をしているか、なんて全くわからなかった。

写真は「あなたがいる世界」がなんなのかが可視化される。それに対して文章は「あなたから見える世界」がなんなのかに触れさせてくれる。

今回私が購入することが出来た、ゆっきゅんが書いた「体操ブログ」がまさにそうだった。

遅すぎだと思いますが、私が体操ブログを読んでやっと気づくことができた、他の誰にもないゆっきゅんにしかないその大きな才能は、「王子として生まれ、王子としての自らの才能を愛し、王子として生きることができる」という才能でした。

 

例えば、王子として生まれ王子としての才を持ち、だが本人は王子ではなくラッパーを志向しているが、どうにも王子としての品の良さが滲み出てしまいラッパーにはなりきれない…

とか、

王子として生まれたが、世間様や親せきから「いやもう現代なんだからごく庶民的に、就活して就職して生きるべきだ」と言われ続けたからそういうもんかとおもって就職するが、朝7時に起きて満員電車に乗って、9時までに会社へ出社するという生活が無理すぎて鬱になってしまった…

とか今はそういう悲劇に溢れているでしょう。

だから、「王子として生まれ、王子としての自らの才能を愛し、王子として生きることができる」というか、「ゆっきゅんとして生まれ、ゆっきゅんとしての自らの才能を愛し、ゆっきゅんとして生きることができる」がどれだけすごい才能か。

 

誰もが王子様としてお姫様として生きて行けるわけではなく、でも私が私として生まれて私として生きて行こうとすること自体は、きっと本当は誰でも志すことができるはずで、そこにこそ最も自由があるはずで、私だってずっとそういうつもりでいたけれど、まだ完全なアリマカナコになりきれていないからまだ少し、そういう気持ちになってしまうのでしょう。

それは別に、開業医の家に生まれた子はラッパーになるなとか、貧乏な家の子が大学進学を目指すなとかそういうことではなく、私が私で居続けるために、あなたがあなたで居続けるために、大事なことや必要なことはなんなのか、という話で。

「あなたがあなたじゃない人になれば(それを演じることができれば)、こんなに幸せになれますよ」と、そういうことを平気で囁いたり怒鳴ったりする大人が一杯いるけど、ほんとはそんなのぜーーーんぶ嘘だよ。

 

私が完全体の私になった時、ゆっきゅんはきっともっとゆっきゅんとしてあるべき姿を手に入れているでしょう。その時ゆっきゅんと私の間にある断絶は今よりもっと深くなっているでしょう。

でもきっとそうなれた時ようやく、私は何も心が痛むことなく、ゆっきゅんのことを好きだと手放しで言えるようになるのではないかと、そういう気がしています。

 

 

 

「互いに孤独なまま、断絶ごと相手を愛する」ということをおもう時、私は浜崎さんのSURREALを思い出します。

浜崎あゆみ Surreal 歌詞 http://j-lyric.net/artist/a000617/l006e8c.html

www.youtube.com