超家族

とくちが授業で発表してたのを読ませてもらいました。
耳で聴いて理解するのが苦手なので、その分やっぱりできるだけ読ませてもらった方が良いなー。と改めて思った。
帰省中で本番見れてないので、完全に戯曲読んだ感想になりますが
ああいう血筋物(?)って女の人が描くと生々しくなりがちなふしがあるような気がするので、おどろおどろしさもあるけどえぐくなりすぎないあの雰囲気は好きだなあと思った。
あっ、あと作品の物語から作者の人格が乖離しきってるように感じて、そういう作品が久しぶりだったからすごい新鮮だった。


フライヤーには「ファッキン・ドラマツルギー」と書かれていて、どういうことなんだろう…とずっと思ってたから、芸祭の大海原を見て、超家族を読んで、たぶんちょっとより多くはその意味が理解できた…と思う。

改めて『ドラマツルギー』という言葉について調べてみたんです。
色んな意味や訳しかたがあったんだけど、その中で私のイメージと一番近かったのは、

>たとえば『ロミオとジュリエット』、『ウェストサイドストーリー』で同じドラマツルギーを使っている。設定だけが違う。

この文章の『ドラマツルギー』の使い方が、なんかしっくり来た。
でもこれ即席の入れ知恵なんで、もしかしたらそこから考えた私の解釈はずれてて的外れなことを言ってしまうかもしれないけど、
戯曲を読んで思ったのは、ドラマツルギーを崩壊させようとするその行為自体が、もしかしてすでにドラマツルギーの中に組み込まれているのではないか、ということ。

でもなんか、演劇はきっと、映像や漫画や小説ではできないドラマツルギーの壊し方があるような気がして、それがそのまま演劇の可能性でもあると言えるんじゃないかなー、と思いました。