ミスiDのある世界で私たちはどのように生きていくのか

ミスiDの受賞者のひとのプロフィールやSNSを少しずつみんな見た。

 

この世に生を受けて生きる全ての人にアイデンティティがあること

だからといってその事実にあぐらをかいたら、一部の天才以外は何も誰にも届けられない、というのもまた事実だということ

ありきたりな言葉で固められていたとしてもその人の芯を見定める資質が審査員にはどこまであるのか

エントリーしている人は、見定める資質の薄い審査員がいたとしてその人にさえ届く強い何かを持っているのか否か

 

そしてミスiDは、従来の芸能の世界が切り捨てがちな女の子に光を当てる一面もありながら、その枠からすら切り捨てられる(と少なくとも当人はそう感じている)女の子達を毎年大量に生んでいること。

多様性を認めているようだけれどでもやっぱりどうやっても最終的には顔と身体の造形が美しい女性がグランプリに選ばれているオーディションだし。

でも最大限、最大限切り捨ててしまわないように、と祈るような気持ちで身を削って審査している人もいるということが毎年のコメントから伝わってくるし

 

大きな矛盾とそれに対する個々の葛藤や思想が幾重にも重なっているオーディション。

 

毎年いる、ミスiDのセミファイナリストだ、ファイナリストだという肩書だけで彼、彼女達をひとからげにメンヘラとか承認欲求おばけみたいに扱う人の言葉はのっぺらぼうで誰でもない

そう思うぐらい、少なくとも私が見た受賞者のひとの動画とか言葉や写真にはそれぞれに種類の違う光があって

 

もうどんなに綺麗ごとを言おうとしても私だって普通に生きてる中で毎日何かや誰かを選んだり切り捨てたり、毎日息を吸うようにしているので、当然。

でもそれでもできるだけ、こんなに情報量があって玉石混合のもので溢れているこの世界で、誰のキュレーションやレビューにもなびかずに自分の目や直感や運命で選んでいきたい。

そして文章書いて発表し続ける限り、働いている限り、生きている限り、私も評価される側であり続けるけど、誰の言葉を信じるか、私は、私の中に棲む神様の言葉と判断だけを信じて生きていきたい

 

ということを、遠くから、でも確かにおもった今年のミスiDでした