素晴らしくても素晴らしくなくても愛は愛

なんか突然脈絡なく注釈もなく仏教の原始教典にコメントするブログをはじめてしまってたな…と今になってはたと気づいたので説明するんですが、私は実家に数日戻った時、というか鹿児島に行くと頻繁に虚無感に襲われるんですね。
でこの虚無感をどうにかしてくれるのは仏教、しかも原始教典なのでは?

とある夏にふと思って、鹿児島の紀伊国屋書店岩波書店の「ブッダのことばースッタニパーター」を買ったのでした。

で東京に戻ってから何度となくこの本を開いてみたのですが、何度挑戦しても全く内容が頭に入ってこなくて、

「やっぱりこれは一方的に受け取る本ではなく、現代を生きる私がブッダの言葉ひとことひとことに対して返していかねば読破できないのでは?」

という結論に至って、それをここでやっているという感じです。

いうなれば読書の延長線上にある行為なので、すごい突然敬虔な仏教徒になったというわけではなく…。

というのは普通に中身を読んでもらえていれば伝わっているとおもうのですが、

突然説明しておきたくなったので。

 

原始教典は、「子や恋人を持ち、彼らに強い愛着を持つことは執着に繋がるからよくない」、と説いていて、私は、まあ、そう。愛だって業だよ、と思って

「愛は素晴らしい」

という思想も一種の宗教なので、

素晴らしくても素晴らしくなくても愛は愛だよな

と、今まで曖昧に見えた「愛」の輪郭を少しなぞれるようになった、気がした。