私自身のためだけに食卓に花を飾るようなこと

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例えば美しいものを美しかったとか、ここにあるものを「ここにあります」と私があえて伝えることにはもうあまり意味を感じない

世の中にはアフィリエイトや有料ブログ、レポート、感想文、即物的な文章が死ぬほど溢れてるので

20歳頃は、いかに自分の感情や感覚を語弊なく伝えられるかということに病的に心砕いていたし、そうやって心砕いた言葉を3秒で読み捨てられてしかもそれが誤読、みたいなことに毎回本気でキレていた

けど、私が今言葉を使ってやりたいことは、もうそういうことじゃない気だけしている。

 

この間パーソナルメイクレッスンを受けて、

「下地不要と書かれたファンデの場合も、下地は使った方が良いですよ」

と言われた

下地不要と書かれているということは、下地を使うなということだと無意識に思いこんでいた

「何かをしなければならない」「何かをしてはいけない」

をひとつひとつほどいてゆくこと。それは生きる意義みたいなものに近いなと思った

 

写真に納まらない、言葉にもならない、日常の一瞬が

あなたの日々を私の日々を世界のほとんど誰も知らなくても

その命や生活には揺るぎない価値があるということ

その短的な事実をかき消そうとする声が大きすぎるけど

それでもそれはなお揺るがないということを、私とあなたは知っている