それは私の世界に対するリアクション

自分の死体をずた袋に入れて引きずり回すぐらい今日は身体が重たかった…

 

冬はマジでダメということに気づくのに時間がかかりすぎた

 

去年亡くなったアーティストが「私が死んで泣く奴は嘘つき」とブログに書き残してた。

死んだらもう怒れないよ

例えそういう思いがよぎったとしてももう踏みとどまれなかったんだろうな

だろうな

にしかもうならない。死ぬということ。

クラファンやってることも、本人はどう思うんだろうと思いつつ申し込んでしまった。

それは作品の痕跡を手元に残しておきたいという自分のエゴでしかない。私は生きているから

 

そのアーティストのブログも今日までずっと知らなくて、でもなんか今日の私はそういうものを引き寄せてしまう自分だったんだろうな。

たぶん自分の感情のステージに近いものだけが見えるようになってる。インターネット

 

毎日このブログを書いていても10年書いてもなんにもならなかったと言って、届かなければ意味がないからと言って、そうなんだけど、

でも本当は全然そんなことどうでもよくて、やっぱり本当のことしかいらないよ

って、今でも思ってる。

 

創作、創出、それは私の世界に対するリアクション。リアクションを形にすることが私の生きる意味に近くて、愚鈍でも無才でもクソでも、リアクションすることぐらい誰だってできるでしょ、そう思っている